une Sable nouvelle a L'eau de rose 薔薇の観察

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  薔薇の観察


   1

 「あの、黄薔薇さま?」
 黄薔薇さまこと江利子に、お盆を抱きかかえたままおずおずと話しかけたのは祐巳ちゃん。
 (あら、ちょっと珍しい)
 そう蓉子は思い、カップからたちのぼるアールグレイの香気の向こうの二人をそっとうかがう。祐巳ちゃんから江利子に話しかけるなんて。
 「何?」
 同じく紅茶をすすりかけていた江利子はカップを下ろして顔をあげる。いつもと変わらぬ気怠げな表情も、紅茶も添えられたこの秋という季節には、ずいぶんと似合っていたのだけれど。
 慣れていない祐巳ちゃんには、まだそんな風に江利子の表情を味わう余裕などないらしい。お茶を邪魔されたので機嫌をそこねられた、とでもとったのか。
 「あ、どうぞどうぞ、召し上がってからで結構です」
 などと焦ってすすめている。おまけに祐巳ちゃんは、どぞ、ずずいっと、なんて付け加えたものだからおかしい。紅茶を吹き出しかけてそれをこらえた隣の聖と、蓉子の目がちらりと通いあう。
 学園祭は先月だったから、祥子がこの子を妹に迎えてもうかれこれひと月になるだろうか。それ以来ずっと、祐巳ちゃんは私たちの間でのアイドルだ。
 「で、何?」
 紅茶を一口した江利子が祐巳ちゃんに話をすすめるようにうながす。変わらぬ表情の奥に、蓉子は江利子がちょっと喜んでいるのを見てとる。
 祐巳ちゃんが自分から江利子に話しかける。それはなんといっても珍しいことで、そしてそれこそが江利子の好物なのだから、彼女は二重にご機嫌なのだ。彼女の上機嫌を、祐巳ちゃんに伝えてあげたいものだけど。
 お盆をかかえてもじもじしながら祐巳ちゃん話はをはじめた。
 「あ、あのですね、黄薔薇さまはタイを結ぶのがお上手なんですよね?」
 江利子のタイのシルエットは学園一の美しさ、と言われている。その伝説を作る一端をになったのはほかならぬ蓉子だったわけだけれど、いざ聞くと祐巳ちゃんの言い方はなんだか妙におかしい。
 言われた江利子も、まさか「そうよ上手よ」と言うわけにもいかず、何と返事していいのかわからないようだ。聖も肩を小刻みに振るわせている。
 蓉子は助け船を出してあげた。
 「祐巳ちゃん、それで?」
 「あっ、はい! それでですね、黄薔薇さまにタイの結び方を伝授して頂きたく……」
 「ふーん」
 どうして?、と江利子。
 「えっと、タイをきちんと結べるようになりたくてですね」
 それはそうだ。江利子が聞きたいのはその先の理由だろう。
 「いや、だから……」
 と、表情も変えずに言いよどむ江利子に、思わず蓉子も吹き出しかけた時。
 とうとうたえきれなくなったのか、聖が笑いながら口を開いた。
 「わかったよ〜、祐巳ちゃ〜ん?」
 「へ?」
 また気味の悪い声音で、いかにも白薔薇さまのおでましという風情で。聖はみんなの注目をものともせず、「そうかー、うんうん」などと気を持たせてから、ズバリという具合に言った。
 「祥子にタイをなおされるのがそーんなに嫌なんだ〜」
 「い、いやっ?」
 いやっ、て、おいおい。それじゃあ変なことされてるみたいよ、祐巳ちゃん。
 「い、嫌じゃないです! 嫌じゃなくて」
 「あらぁ、じゃあ、やっぱり好きなの? 祥子にされるの」
 「す、すきっ? されるっ?」
 「だって嫌じゃなけりゃ、逆は好きでしょ?」
 圧倒的なお手玉ぶり。「ちょっと白薔薇さま、祐巳をあまりからかわないで下さる?」などとあの子がいれば一喝するところだろうけど、その祥子はここにはいない。
 ここ薔薇の館での会議も終わり、今は祐巳ちゃんの他には、薔薇さまと呼ばれる私たち三人がいるだけだった。
 会議が終わると、用事があるとかで黄薔薇のつぼみ姉妹は仲睦まじくもさっさと帰ってしまった。志摩子は委員会があるとかで欠席。祥子は珍しく教室に忘れ物をしたとかで、それを取りに行っているところ。
 お供します、というかしたい、という気分みなぎる祐巳ちゃんに、いいわよ、ちょっと待っていてくれる?、と言って出ていった祥子。
 戻ったらいっしょに帰りましょう?、と言った祥子のほほえみ。それに元気よく、はい!、と満面の笑顔で答えるまでの祐巳ちゃんの百面相。そうですか、そんなに一緒に帰れるかどうかが一大事ですか。ごちそうさま。われら薔薇さま、今日もおいしく頂きました。
 残された祐巳ちゃんは初め、えへへ、などと間の抜けた照れ笑いなどしていたが、じゃあ薔薇さまたちに最後のお茶でも、というわけで現在にいたる。
 そして祐巳ちゃんは江利子にタイの結び方をたずねてきたのだった。

   2

 そうか祥子にされるのが好きか、うんうん、などと、「タイをなおされる」をわざわざ省略して、誤解をまねくようなつぶやきをもらしながら、聖は腕を組んで一人納得したふりをする。祐巳ちゃん、あーん、とか、うー、とか言っちゃって、それじゃあますます聖の思うツボってもの。
 「ち、違います。私はただ、きちんとして祥子さまにあまり注意されないように、と」
 「ほほう、殊勝だねえ。つまり、祐巳ちゃんはきちんと身だしなみを整えて、お姉さまである祥子にあまり面倒をかけないようにしたい、と」
 「はいっ」
 やっと話が通じたと思ったのか、恥ずかしがりながらも嬉しそうに返事する祐巳ちゃん。そんなによろこんではダメよ、と蓉子は思う。
 「つまり、祐巳ちゃんのタイをなおすのが祥子には面倒だろうと」
 「はいっ」
 聖ったら、やっぱりそう来たか。
 「祥子が祐巳ちゃんのタイをなおすのが嫌だろうと」
 「はいっ」
 「祥子が嫌がってると思う?」
 「はいっ、……あれ?」
 元気に返事を返していた祐巳ちゃんも、何だか話がおかしくなったことに気づいたようだ。だが聖は、そんな祐巳ちゃんに考えるひまを与えず、ふふん、と笑うと奇術師のように話を転じた。
 「ところで、そんな風にお盆を持ってたらタイの結び方なんか教われないよ?」
 そう、祐巳ちゃんはずっとタイを覆うようにお盆を胸にかかえたままだったのだ。たしかにこれではタイなど結びようもない。
 あっ、と声をあげると、祐巳ちゃんはとてとてと歩いて流しにお盆を置きにいく。ああ、祐巳ちゃん、面白い話になってたのに、もう忘れたみたい。
 お盆を片づけた祐巳ちゃんはまたとてとてと江利子のもとに寄った。ああ、顔にわくわくと書いてある。
 「用意できました!」
 「教えてあげないわよ」
 と間髪入れずに江利子。
 「がーん」
 と、祐巳ちゃんは本当に口に出して言った。ポーズも、がーんって感じで仰け反っている。
 江利子がちらりと蓉子を見て、さらに聖をまじえて私たち三人の視線がかよいあう。私たちは同じ言葉を心に抱いたはずだ。教えるわけにいくか、祥子の楽しみを奪ってどうする。
 一方、何も知らないはずの祐巳ちゃんはといえば、薔薇さまたちの意地悪、とまたもその表情でありありと抗議しつつ、明らかに落胆している。あら、ちょっと可哀想。
 江利子もそう感じたのだろうか、間を置かず口を開いた。
 「盗みなさい」
 「へ?」
 そう、盗みなさい、と言った江利子。蓉子がそれに続けた。
 「そうよ祐巳ちゃん。技術は盗むものだわ」
 「へ?」
 「私も黄薔薇さまにタイの結び方を聞いたことがあるの」
 「えっ、紅薔薇さまも?」
 見事、盗みなさい、の一言で毒気を抜かれ、そこから続く話にひっぱられ、落ち込みかけていた祐巳ちゃんはすぐいつもの調子にもどった。蓉子は江利子がはなった聡明な一手を展開するだけだ。
 「でも、教わったわけではないのよ」
 「?」
 まるでなぞなぞをかけられた人のような顔をする祐巳ちゃん。
 「盗んだの」
 「盗んだ?」
 「そう、目の前で一度だけ、黄薔薇さまに実際にタイを結んでもらったのよ。それを見たの」
 「そうそう、こんな風に」
 いい?、祐巳ちゃん、と言うや江利子はするするとタイを解いて、また結んでみせた。
 明らかに心持ちゆっくりと結んでみせたはずなのに、祐巳ちゃんはそれをちゃんと見ていたものかどうか、自分のタイをいたずらにつまみながら焦っている。
 「あっ、あっ、も、もう一回!」
 「ダメー」
 そこでとうとう表情を変えて、いじめっ子のような顔をして、江利子は言った。こんなまれな表情を江利子にさせるとは。祐巳ちゃんには本当に才能がある。
 「そんなことおっしゃらず、もう一回!」
 「ダメー」
 「あーん、ロサ・フェティダ先生〜」
 江利子の前で、むむ、とか唸りながら自分のタイをああかこうかと解いては結ぶ祐巳ちゃん。もうタイの形が整うどころではない。聖のように腹を抱えてではないけれど、もう蓉子もこらえずに大いに笑っていた。
 「あんまりお姉さまたちを困らせてはだめよ、祐巳」
 「あっ、お姉さま!」
 「あら祥子、お帰りなさい」
 いつのまに戻ったのか、祥子が扉のそばに立っていた。口ぶりとはうらはらにほほえんでいるあたり、祥子にも蓉子たちの笑い声が遠くから聞こえていたのだろう。
 祐巳ちゃんは嬉しそうに祥子に駆け寄る。
 「おかえりなさい、お姉さま」
 「もう、またタイが曲がってる」
 そう言った祥子がすぐさまタイをなおし出したのだからたまらない。
 蓉子たちは死にそうになりながらこらえた。こみあげる笑いをほほえみに変えて。
 ここは!、ここは耐えるのよ!、と、たがいに視線を送りあう。
 ぎっ、とも、ぐっ、ともつかない音を、聖が胸の奥で立てるたびに、蓉子はほとんど殺気すらはらませて視線を送った。
 タイをなおす祥子がこちらを見て一瞬けげんそうな顔をした時が一番の山だった。それを越えた時、私たち三人の間にはもはや学園祭かなにかを無事にとりしきった後のような、大仕事を終えたすがすがしさ、感動すらがかよいあっていた。
 よくやった。
 よくやったね。
 ああ、よくやったわ、私たち!
 素晴らしき山百合会幹部、さすがは薔薇さまたち……もはや私たちの偽のほほえみは本当のほほえみに変っていた。ヘンな汗こそ浮かんでいたけど。
 「お姉さまたちはまだお帰りにならないの?」
 この一瞬で、なぜかへんてこな迫力とオーラを増した薔薇さまたちを不思議と感じてはいるようだったが、祥子はそのことにはふれずに訊いてきた。蓉子の出番だ。
 「ええ、私たちはもう少しゆっくりしていくわ」
 「そう、後片づけも私たちがするから、気にしないでいいよ」
 後片づけ。普段なら信じられないようなことを言う聖。ミスった?
 「そういうわけには。祐巳、私たちももう少し……」
 「いいっていいって。おばあちゃんたちはのんびりしたいだけだから、ね?」
 ナイスリカヴァー、聖。
 「ええ」
 「そうそう」
 蓉子も応じ、江利子がここぞおばあちゃんとばかりに紅茶をすすってみせた。
 そうですか、それじゃあ、などと言って祥子はひきさがった。同じ手玉にとるにせよ、わが妹は祐巳ちゃんと違ってやはり手強い、と蓉子は思う。
 けれど、そんな祥子がこんなほほえみを浮かべるようになるなんて。
 「それじゃあ帰りましょう」
 「はい!」
 ごきげんよう、という祐巳ちゃんの元気な挨拶を残して、祥子たちは階段を降りていった。

   3

 薔薇の館の二階から、窓際に立つ蓉子は校庭を遠ざかる二人の姿を見ていた。
 季節はもう秋も終わり。
 「行った?」と聖。
 「行ったわ」
 「ふう〜〜〜」
 薔薇の名をいただく三人は、ようやく揃って安堵のため息をついた。
 「いやあ、凄かった」
 「見事だったわ」
 口々に抽象的な感想をもらしたが、私たちはそれが具体的に何についてかを確認する必要もなく共に理解しているはずだ。
 二人が去った後、残された三人は爆笑するかわりに沈黙した。
 その沈黙の中で私たちはたくさんの会話をした。言葉が、ときどき水泡のように沈黙の会話から聖の口を通じて浮かびあがる。
 「祐巳ちゃんはかわいいねえ」
 うん。
 「いやあ、よく耐えた」
 うん。
 本当によく耐えた。タイをなおす祥子の前でもし三人が爆笑していたら。
 祥子はそれこそ蓉子たちを問い詰めただろう。その問答がどうなるか知れない。けれど、祥子が祐巳ちゃんのタイをなおさなくなるという結果もありえた。そうなるともうこれは笑い事ではない。そんな残酷なことをする権利は遊ぶ私たちにはないのだ。
 タイをなおすことはささやかな喜び。だが、それは二人にとって途方もなく大きな幸せのはずだった。私たちは皆そのことを知っていた。
 私たちはお互いを遊びあう。だが、それは幸せのためにするのだ。幸せは守らなければならない。
 祐巳ちゃんを見るあの祥子のほほえみ。それを見るたびに、まだそんな素晴らしいものがこの子の中にあったなんて、と蓉子は驚く。
 私では引き出せなかった。だから、それは祐巳ちゃんのもの。
 「祥子を見た?」
 「ああ、凄いねえ」
 聖が応える。説明などいらないことが蓉子には嬉しい。
 「あの子は強いね、性欲が」
 「そう、性欲が、って、へ?」
 なにか予想外の言葉を聞いて、蓉子にも祐巳ちゃんの間抜け声がうつってしまったようだった。江利子も耳を疑っている。
 「今、なんて言った、白薔薇さま?」
 「え、だから、祥子は性欲が強いって」
 「せ、せいよく?」
 「そう、性欲、つまりリビドー。祥子ったら、祐巳ちゃんのタイをなおしたり髪のリボンなおしたり、なんだかんだいって触りまくりじゃん? スキンシップは性欲の現われだからね。祥子はあれだ、抑圧強いから、変な噴き出方してるわけ。身だしなみとかにかこつけて。あれはあぶないね、マジで噴き出すかも。私が保証するよ。」
 蓉子があっけにとられているのをいいことに、聖は語りに語った。
 「そういえば蓉子、祥子が一年の時、よくあんたもわけもなく祥子のタイなおしたり、髪を梳いたりしてたよね。ああ、なるほど。これは紅の伝統だ。抑圧された性欲が身だしなみチェックに噴き出すという。深い、深いね。いわゆるカルマってやつ?」
 今、この薔薇の館の二階で、薔薇さま三人が同じ思いにひたっている、という蓉子の想像を、聖は怪獣のように踏んづけ散らしていく。あんたは一体何を考えてたんだ、え、佐藤聖、いやさロサ・ギガンティア?
 「じゃあ、あの時笑うのを必死でこらえたのは」
 「それはもちろん、祥子がタイをなおすのを止めさせないためよ」
 ああ、やっぱりあなたも幸せを守ることを、なんて蓉子の思いは続く聖の言葉ではかなく散った。
 「あれで発散してるわけだからね、祥子は、性欲を。それを止めさせたらやばいでしょう。行き場を失った性欲がついに噴き出ますって。マジでいらっしゃい、って感じ?」
 と、聖は眉をあげて誰かを迎えるように両腕をひろげた。私の祥子をどこに迎える気だ、こん畜生。
 だが、蓉子は聖の言うことを否定したり非難したりする気にもなれなかった。笑いをこらえたり、感動したりして、もう蓉子は疲れていたのだ。美しい薔薇の館の結束は、もはや江利子だけが頼みの綱だった。
 「江利子ぉ」
 「そうか、性欲だったのね」
 そこには珍説を聞いた喜びに目を輝かせ、話にくいついているもう一匹のケダモノがいた。


  完 (2003.8.15初出/10.23改稿)


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