une Sable nouvelle a L'eau de rose リリアンかわら版の変らない日々
リリアンかわら版の変らない日々
「というわけでカエルを持ってきたわ、真美」
「何が『というわけ』ですか、お姉さま。ごきげんよう」
かろうじて挨拶は返せたけれど、うんざりしてしまう真美。
まったく、もうじき次のかわら版の締めきりだというのに。おまけにネタがなくてうんうん唸ってたとこなのに。さらにおまけに夏だから暑いのに。
今は二学期も終わり、その暑い盛りの放課後。
ここ、伝統ある『リリアンかわら版』の発行所、クラブハウスの新聞部室で、真美は不意のお姉さまの訪問を受けたのだった。
それにしても、珍しいお出ましと思ったら。妹への差し入れが、冷たい飲みものどころか、ビン入りのカエルなんて。
さすがはお姉さま、と真美も思うほかない。
「もうじきかわら版の締めきりなのに、ネタが無いんでしょう?」
心を読まれた、なんてもちろん真美は思わない。なにせお姉さまは受験隠居なさったとはいえ新聞部部長なんだし、もう見りゃわかるでしょう、って感じ。
げっそりした真美を見て一体何をどうとったものか、ふふん、なんて鼻で笑ってお姉さまは瓶に入った大きなカエルを片手にふんぞりかえる。
って、ひいいっ、カエルでふんぞりカエル、なんて、最低の偶然!
でも、それがもう、お姉さまに巻き込まれてるって証拠だ、って感じがする。こんな駄洒落を他人の心にすら招き寄せてしまう能力こそ、真美のお姉さまこと築山三奈子さまの数少ない魔力の一つなのだ。きっと。
「カエルを片手にふんぞりかえる、ってね」
そんな魔力を持ってるかわりに、三奈子さまは頭の回転が少し鈍い。
真美は目を潤ませてしまった。
「お姉さま、お願いですから締めきり前に邪魔しないで下さい」
「かわいそうに、泣くほどネタがないのね。って邪魔って何よ! だからネタを持ってきたって言ったじゃないの! ほら、ほら」
「うわっ、やめて! カエル近づけないで! もう、やめて下さい! お願いです、何でもしますから! 妹にだってなりますっ!」
「もう妹じゃないの」
ああ……っ!
そうなのだ、私はもうすでに、こんな三奈子さまの妹。事実は残酷なり。
そんな絶望的な混乱の中で、まだ真美が会話を整理出来たのは奇跡に近かった。
「で、どうしてそのカエルがネタなんですか?」
「よくぞ訊いてくれました!」
ええ、本当に、われながらよくぞ訊いたと思います、お姉さま。
「ネタがないなら、ネタを持ちだす。これが鉄則よ」
「ネタ、ネタって、まさか、お姉さま、それをお寿司のネタにする、とかじゃ」
「あなた馬鹿でしょう、真美」
言ってから真美も、そんなわけないって思ったけれど。真美も相当おかしくなっていたのかもしれないけれど、三奈子さまはふだんから本当にそれくらいおかしなことを言う人なんだから。しかも、そんな三奈子さまに馬鹿って言われた……。
「あらら。お願いだから、もう泣かないで、真美」
「お姉さま……トドメを刺して下さい、お願いです」
締めきり前なんですから、もう、スッパリ頼みます。
「ト、トドメ? 妹のあなたに?」
何を考えているんだ。そこで顔を赤くするな、お願いだから、三奈子さま。
「いや、だから。カエルをどうやったらネタに出来るんですか? それを端的に教えて下さい。そして沈黙して下さい、お姉さま」
「ち、沈黙? トドメの次は、沈黙? ……まあ、いいわ、締めきり前は私もよくおかしくなったものだし」
いつもおかしいですお姉さまは、って、絶叫したい! だけど真美は我慢の子。
「……で、カエルを?」
「あ、それね。いい、よく聞くのよ、真美。一度しか言わないわ」
「はい、それはもう、絶対に一度だけで結構です」
真美の殺気はなかなか伝わらないものらしい。美奈子さまはもう一つおまけにもったいぶってから、ズバリって感じで言った。
「カエルを放つのよ、薔薇の館に」
ああもういいです。やっぱり聞きたくない。
でも、もう聞きたくなかったのに、真美は訊いてしまったのだった。
「するとどうなるんです?」
「何か起こるわ、きっと」
どうして人を殺してはいけないのですか?、マリア様。
真美は目をつぶって、失われた真理を訪ねて、黙っていると。お姉さまはほほえんで。
「そんなに感激しなくてもいいのよ」
なんて勘違いなさりやがります。
わかりました。
黙っていてはお姉さまは黙らせられないのですね、マリア様。
「何か起りますかねえ」
「起こるわよ。だって真美、あなただってカエル、苦手でしょ?」
「はあ、まあ」
「女の子はたいがい苦手よ、カエルって」
「はあ、たぶん」
「薔薇の館にいるのは誰?」
「誰って、薔薇さまたちでしょう、それは」
「違うわ」
ちっちっち、と三奈子さまは指を振って。
「薔薇の館にいるのは、私たちと同じ、女の子よ」
女の子だってだけで三奈子さまと同じなんて言われたら、薔薇さまたちも御迷惑だろうけれど。
きっと真美はもう、本当におかしくなっていたのだ。
そんなふうに三奈子さまと会話しているうちに、なんだか本当に、薔薇の館にカエルを放つと何かが起こる気がしていた。事件にはなる、と。
だってほら、まず必ず誰かの悲鳴は上がるだろうし、祐巳さんやなんかは絶対あわあわしてくれるだろうし、由乃さんは令さまに飛びつくだろうし、令さまだって一緒にふるえあがるかもしれないし、祥子さまだってやっぱり苦手かもしれないし、志摩子さんや乃梨子ちゃんだって……いや、あの白薔薇姉妹だけは、ふふふ可愛い、とか、これが怖いんですか、なんて言いながら、手のひらにカエルをのせちゃうかもしれないけれど。
それどころか、あの仲のよい白薔薇姉妹のこと、手と手のひらにカエルをのせて、外に放しに薔薇の館の扉から並んで出てくるかもしれないじゃないか、しかも片手だけつないで。すごい絵だ、それは。そんな写真をゲット出来ればそれはものすごくすごい紙面を飾る花、ってか、紙面を飾る薔薇ガエルになりそうなわけで。
「薔薇ガエル」
真美はつぶやいてしまった。
「へ?」
とは、お姉さま。
「仮見出しは、『薔薇ガエル』で」
「そう! そうよ! 薔薇ガエル! これは前代未聞の見出しだわ! ようやく乗ってきたわね、真美!」
そりゃ前代未聞だろうともさ。でも。
「ええ、もう、乗っちゃいます、私」
真美はニヤリと笑ってみせた。
三奈子さまも口元をニヤリと。ひょっとしたらもうこの部屋、次元がゆがんでいて、そう見えるのかもしれない。
「でも、『薔薇の館にカエルが帰る』なんて見出しも良くなくて?」
「却下です、お姉さま」
「もうっ、可愛くないわね」
「さあ、行きましょうお姉さま」
「そうね、じゃあ早速このカエルを……あら、なんか」
「ええ、じゃあ早速、って、どうしました、お姉さま」
せっかく姉妹でハモりかけていたのに。
「なんだかぐったりしてるような気が、このカエル」
「してますね、ぐったり。なんだかさっきまでの私みたいに」
つまりどちらにしてもお姉さまのせい、ってことだ、きっと。
中のカエルはビンに揺られてひっくりかえっても、動こうともしない。
「お姉さま、ひょっとして。そのカエル、いつからビンに入れっぱなしなんですか」
そのバッチリ密閉された容器に。
「え、それはもちろん、家の庭で拾ってから」
「ずっと? このリリアンまで?」
「え、ええ」
「フタ開けて下さい! 窒息してしまいます!」
「えっ、あらやだ、本当!?」
三奈子さまはフタを開ける。妹の扱いはともかく、小動物の扱いくらいはちゃんとして欲しい。なんてったって生き物なのだから。もちろん妹だって、生き物だけど。
フタの開いたビンを軽く振る三奈子さま。
「ほら、空気よ、カエルさん。どう?」
いや、どう言われても。
「ちょっと見せて下さい」
真美もさすがに心配になって、ビンを受けとる。こんな時に、いやがっちゃいけない。
「カエルさん、生き返る?」
心配そうなまなざしの三奈子さま。カエル生きカエル、なんて、今度は自分自身に魔力をふるっているけど、真美はほっておいた。
心持ちやさしくゆすっても、カエルはまだぴくりともしない。
「駄目かも」
「そんな」
「……ネタ、駄目になっちゃいましたね」
「ネタなんてどうでもいいから! 生き返って!」
あら、記者魂しか取り柄のない三奈子さまが。ちょっと、なんていうか、普通によいお言葉を。
漂う悲しげな空気の中でも、真美がちょっと胸をあたたかくしかけた、その時。
ぴょーん。
カエルがジャンプしてビンから飛び出た。
「うわっ」
「やった、カエルさんが! って、ひいいっ!」
一瞬ヒーローを見るまなざしでカエルジャンプを見守った三奈子さまも、こういう時は切り替えが早い。
ぴょーん。
ぴょーん。
「カエル! カエルつかまえてっ!」
「み、三奈子さまこそっ!」
「私、駄目なのよっ!」
「どっ、どうやってつかまえたんですかっ!」
「ネタ元は明かせないわっ!」
「さすがお姉さま! じゃなくてっ!」
「こっ、これっ、記事に出来ない?!」
「『かわら版が生きカエル!』、とかって馬鹿ですか!?」
「ひいっ、あ」
「あ」
三奈子さまは、カエルを踏んづけた。たぶん偶然。
「……真美が変なこと言うから」
ここで責任転嫁とは。さすがお姉さま、どこまでも最低です。
三奈子さまが、祈っている。
クラブハウスの裏に、小さな十字架を立てながら、真美は。
マリア様からは教えてもらえなかった生命の大切さを、なぜかお姉さまからは教わったような気がした。
もちろん、『リリアンかわら版』次号のネタは、まだない。
完 (2003.10.15初出@journal/11.14up)
une Sable nouvelle a L'eau de rose リリアンかわら版の変らない日々
|