une Sable nouvelle a L'eau de rose 紅白抱き合戦

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  紅白抱き合戦


 私は毒を持っている。
 私は照らすものを焼き尽くす月。私こそは悲劇と喜劇の境い目なのだ。

  1

 「で、最近どうよ、祐巳ちゃん」
 「は?」
 白薔薇さまこと佐藤聖は、いつものように陽当たりのいい窓際に陣取るなり、先に来ていた祐巳ちゃんにこう切り出した。
 聖のそのオヤジモード全開ぶりに、つつつと楕円のテーブルの向こうへと引いて警戒する祐巳ちゃん。ふふん、ようやく私がどんな人間かわかってきたようだね?
 「あれ、どうしてそっち行っちゃうの? 寂しいなあ、こうやってひさしぶりに古巣に帰ってきたのに」
 「ひさしぶりって白薔薇さま、おとといも来たじゃないですか」
 なんてぶつぶつ言いながらも、「寂しいなあ」などと聞いては無視できない可愛い祐巳ちゃんである。きっちり椅子一個分、聖に近づいたりする。
 1月の末の放課後。
 ひさしぶりに、薔薇さまと呼ばれる三年生の一人を迎えた薔薇の館には、他にまだ誰もいない。
 なにせ受験シーズン真っ只中である。紅薔薇蓉子も黄薔薇江利子も最近はこの館から遠ざかり、受験するんだかしないんだかわからない聖だけが一人、それでも時々こうやって遊びに来るのだった。もっぱらこの後輩目当てに。
 「さ、最近どうよって、何がですか?」
 「ああ、そうそう」
 なんて自分で切り出しておいてあいかわらず適当な聖。まずは祐巳ちゃんに入れてもらったお茶を一口すすってから、言った。
 「最近されてる? 祥子に」
 どーしてこの人はこんな思わせぶりな言い方するかな、という顔をする祐巳ちゃん。
 「な、何をですか?」
 「抱っこ」
 聖はずばりと言った。
 「だっ、だっ、だっ」
 うろたえてるうろたえてる。これだからこの娘をいじるのはたまらない。
 「その調子だと、あんまりされてないみたいね。祥子に抱っこ」
 「だっ、だっ、だっ」
 まだ言えんのか。
 なんかこんな歌なかったっけか、だっだっだっ、戦隊ものかなんかで、などとその間にも聖の頭は高速に回転する。
 「だー……」
 なんだそりゃ。つい聖は吹き出してしまった。
 とうとう「抱っこ」と言えないまま、苦しくなった祐巳ちゃんはそれをため息に落としてしまったのだった。それにしても「だー」って、赤ん坊か、弱い猪木か君は?
 「一回か、二回ってとこね」
 もちろん祥子に抱っこされた回数である。
 なにかどっと疲れた様子の祐巳ちゃん、それでも健気に抵抗する気だ。
 「そんなこと、白薔薇さまはご存じなくて結構ですっ」
 「図星ね」
 「なぜ、それをっ」
 「顔に書いてある」
 それで祐巳ちゃん、さとられまいとあわてて手で顔を隠すものだからたまらない。
 こんな抱っこされるためにいるような娘を、妹にしておいてほったらかしとは。祥子はいかにも罪深い。
 「そうかあ、まだ一回か二回か、抱っこ」
 聖がつぶやくと、顔を隠す手からのぞいてる祐巳ちゃんの耳が、そうですう、と言わんばかりに赤くなった。障害はあれど、通信感度はいまだ良好。
 あいわかった。不肖この白薔薇、一肌脱ぎましょうぞ。
 「そういえば私、お正月に会ったのに、祐巳ちゃんにお年玉あげなかったよね」
 窓の外を見ながらそう言って、さりげなく立ち上がる聖。
 「お年玉?」
 顔から手をはずして、その言葉に食いついてしまう祐巳ちゃん。聖が近づいてくるというのに、警戒するのも忘れてしまったようだ。
 「そ、お年玉。あげよっか?」
 「えっ、でも、そんな、お気づかいは。きっ、気持ちだけありがたく」
 目の前に立ってにっこりとほほえんだ聖を見上げて、慣れない言葉を使ってことわる祐巳ちゃんだったが、その顔にはもちろん「でもくれるものならありがたく」と書いてある。「えへへ」付きで。
 「遠慮しなくていいよ。お金じゃないから、中身は。ま、手を出して」
 「え、えっと、ではありがたく……」
 中身はお金じゃないと聞いても、まだうれしさと好奇心がまさった顔をして、祐巳ちゃんは素直に両手のひらを上にしてさしだした。
 聖はポケットをまさぐると、やはりその両手を祐巳ちゃんの両手にのせた。
 「はい、お年玉」
 「わーい、どうもありがとうございま……?」
 ほほえむ聖に、いぶかしむ祐巳ちゃん。それもそのはず、二人の両手の間には何も無い。
 祐巳ちゃんがそれを確認する前に、聖は祐巳ちゃんの両手をぎゅっと握った。驚いて顔を上げた祐巳ちゃんを、満面の笑みで迎える聖。
 「あっ」
 「えへ」
 「だっ、だましたあ」
 「だましてないだましてない」
 「お年玉なんか無いじゃないですかっ」
 うー、などと唸って祐巳ちゃんは手をはなそうとする。
 「お年玉はね、物でもないんだ。でも、祐巳ちゃんが一番欲しい、こと、かな」
 「こと?」
 「そう、こと。お年玉はね、祥子に抱っこされること」
 「ええっ!?」
 「して欲しいんでしょ、祥子に抱っこ」
 祐巳ちゃんは金魚みたいに口をパクパクして何か言いかけたが、真っ赤になって言葉を失い、視線を横にそらした。両手を握られてこの様子、カメラちゃんがいたらバッチリ疑惑の一枚だ。
 「祥子に抱っこさせてあげる。でも、その前に」
 聖は握った両手をぐいと引き寄せる。
 「私が祐巳ちゃんを抱っこするのだよ」
 引き寄せた手と手をたくみにあやつって祐巳ちゃんを回れ右させると、いつもどおり後ろから聖は祐巳ちゃんに抱きついた。
 「ぎゃあ」
 と、これまたいつもどおり祐巳ちゃんも怪獣の子どもの一声。
 「抵抗するねい、祥子に抱っこされたいんでしょ?」
 「なのにどーして白薔薇さまが抱きつくんですかっ」
 「物事には順序があるの。んー、祐巳ちゃん、ミルクのにおいがするねえ」
 くんくん。
 「やーん。に、匂わないで下さいっ」
 じたばたもがく祐巳ちゃんの動きが、そこでぴたっと止まる。
 お、来たか。
 祐巳ちゃんが視線を上げて固まったその先には、茶色の扉が開いていて。
 ジト目の祥子が、立ったままこっちを睨んでいた。
 「ね、これが物事の順序」
 聖は抱っこしたまま祐巳ちゃんの耳もとで囁いた。

  2

 「私にまかせておいて」
 そう祐巳ちゃんの耳もとでささやくや、聖はあっさりと腕を解いて、祐巳ちゃんの背中を祥子へと押し出した。
 「お姉さま」
 駆け寄る、というより、とっとっとっ、って感じで、祐巳ちゃんは祥子に近づく。
 「祐巳」
 祥子は祐巳ちゃんの肩に手をやると、わきに退かせて、つかつかと聖へと詰め寄ってくる。
 さあ、勝負だ祥子。
 ばん!、と祥子は鞄をテーブルに叩きつけ。
 ばん!、とさらにテーブルを手のひらで叩いて、祥子は凄んだ。
 「白薔薇さま、また知っていておやりになったでしょう?」
 祥子の肩の向こう、えっ、えっ、ときょときょとする祐巳ちゃん。あーっ、また祥子さまが来るのを知ってて見せつけたんだ、という顔をする。正解。
 祥子は怒りのあまり奥歯をかみしめ、笑みのように頬をつりあげて言った。
 「同じことをくり返すのがお好きなようですこと。でも、私は嫌い。以前お申しつけしましたよね、『私の妹には手出し無用』と。何度、くり返させるおつもり?」
 凄まれてもいっこうにこたえた様子もなく、ほほえむのをやめない聖に、祥子はこめかみの血管をピクピクと浮き出させる。
 「ごめんごめん」
 明るくあっけらかんと聖は謝って、言葉を続けた。
 「でもさ、祥子ってさあ、負けず嫌いだと思ってたけど、案外そうでもないよね」
 謝られた程度では毒気はいささも抜けなかった祥子も、聖のこの不意打ちには、怒りながらも当惑した様子。
 「……何がおっしゃりたいの?」
 「抱っこの回数」
 「抱っこ?」
 「そう、祐巳ちゃんを抱っこした回数。どう考えても私の方が多いよね」
 不意打ちを続ける聖。言葉の意味が祥子の胸の奥までおさまるのを待って、言った。
 「私の方が抱っこの回数多いのに、祥子はわりと気にしてないでしょ?」
 「な」
 「私の方が回数勝ってるのに。だから案外、祥子って負けず嫌いでもないんだなーって」
 「な」
 「どう考えても私の方が多いよね?」
 「う」
 「勝った」
 そう言って聖はとびっきりの笑顔を見せた。
 さっきまでの祥子の怒りは、みるみる負けたくやしさへとその性質を変えたのがわかる。さあどうだ、負けず嫌いのさっちゃん?
 「か、回数は問題じゃありませんわ、大切なのは中身です!」
 ぶっ、と聖は心の中で吹き出した。
 熱いぜ祥子!
 ときどき祥子はこういう誤解をまねきそうな言い方を平気でするのだけど、これも傑作。
 「中身か……中身ね……」
 笑いを心に押し込めて聖はつぶやく。
 「でも、回数は負けてるよねえ、祥子」
 「そんなこと、どうして白薔薇さまにおわかりになるっていうの……祐巳!」
 「あ、祐巳ちゃんは何も言ってないから。祐巳ちゃんの顔も」
 振り向きざまに雷を祐巳ちゃんに落とされてはかわいそうだ。雷はこちら、と避雷針のように誘導しながら、聖は頭をかかえた祐巳ちゃんへと祥子の肩ごしにウインクした。
 再び振り向いた祥子を聖が笑顔で迎えると、祥子はうんざりしたようにため息をついて。
 「ふん、つきあっていられないわ。帰るわよ、祐巳」
 言って鞄をとりあげ、扉に向かおうとする。
 帰られちゃやばい。
 けどまだ手はある。聖は言った。
 「あ、わかった。帰って二人っきりになって抱っこする気だ」
 びたりと祥子の足が止まった。よし。
 「抱っこなんかしません!」
 振り向きもせず断言する祥子の隣で、失望をあらわにする祐巳ちゃんがまたおかしいのだが、今は百面相鑑賞などしている時ではない。
 「そうね、そうかもね。抱っこはしてくれないかもね、祥子は冷たいから」
 テーブルを逆にまわりながら、聖は言った。よし、祥子のこめかみに再び怒りの血流発見。
 「きっとこんな感じだと思うんだよね」

  ◆

 バスに乗っても、隣に座っても、祥子さまは口をきいてくれない。
 不機嫌そうに、窓の外を眺めたままだ。声なんか、とてもかけられない。
 私なんていないみたい。
 いてほしくないのかもしれない。そう思うと、祐巳は急に悲しくなった。白薔薇さまを恨んだ。それとも私が悪いんだろうか。
 祐巳はむしろ自分が悪いと思いたかった。自分に罪があると。だって。
 罪が無いのに、罰だけがあるなんて、耐えられない。
 「ごめんなさいね」
 顔をあげると、揺れる視界の中に祥子さまのほほえみがあった。
 「祐巳は悪くないのに。そう、悪いのはあの人」
 祥子さまは私の涙を白いハンカチにやさしく吸わせてくれる。
 しまいかけたそのハンカチで、祥子さまは気づいたように祐巳の右耳をそっと撫でた。ちょっと身をすくめてしまう祐巳。 
 白薔薇さまが口を寄せたその耳が、熱くなる。
 ハンカチをしまうと、祥子さまは祐巳の手をそっと握ってきた。
 祐巳はびっくりして祥子さまの顔を見たけれど、前に向けられた美しい横顔が見えるばかり。でも、それでも。
 何も言わなくても。
 抱っこはできないけれど、っていう祥子さまのせいいっぱいの気持ちが手のひらから伝わってくる。
 祐巳はその手をきゅっと握り返した。
 祥子さまはちょっと驚いたようだったけど、やっぱり握り返してくれた。
 すごくドキドキしてしまう。私、きっと真っ赤になっている。
 祥子さまは赤くなんてならないんだろうな、絶対。でも、ちょっとはときめいていてくれるだろうか。
 けれど、そんなことはとても確かめられなくて。
 祥子さまと私は、前を向いたまま、黙って手を重ねていた。
 バスが駅に着かなければいいのに。このままずっと走り続けたらいいのに。
 乗った時と同じように、目をあわせないままなのに。
 私はとても幸せだった。

  ◆

 「とかなんとか!」
 題は『バスに乗って』ね、などと言いながら熱弁をふるい一人二役の芝居までした聖は、その間にちゃっかりテーブルをまわり込み扉をふさぐ場所までキープしていた。
 祐巳ちゃんが真っ赤なのは当然として、祥子までが図星って感じで心なしか頬を赤くしている。うーん、祐巳ちゃん視点の効果もバッチリ。
 「どう、祐巳ちゃん?」
 「わ、私は別にそのコースでも……」
 「祐巳!」
 ばかなこと言わないで、などと言いながら、ハンカチを取り出して祐巳ちゃんの右耳を丁寧にこすっている祥子。それじゃすりむけて赤くなっちゃうよ。
 「さ、か、帰るわよ、祐巳」
 どもりつつ仕切りなおそうとする祥子だが。
 「『バスに乗って』?」
 にんまり笑って聖が言う。
 「の、乗るにきまってるでしょ! ……ち、違うわ祐巳。そうじゃなくて」
 バスに乗ったらおててをつなぐんだあ、って幸せそうな顔した祐巳ちゃんにあわてて注意する祥子。
 帰らせまいと聖がとっさに思いついた、『バスに乗って』の小話を聞かせたせいで、すっかり祥子は調子を崩している。
 偉大なり、比類なき物語の力!
 「と、とにかく帰ります。白薔薇さま、そこをお退きになってくださらない?」
 ともあれそこは紅薔薇のつぼみ祥子、言葉は丁寧だが退かなきゃ殴るぞくらいの気迫である。そこで聖はどうしたかというと。
 なんとせっかくキープした扉の前からあっさり退いた。
 「結構。行きましょ、祐巳」
 「はいっ!」
 なぜかうかれている祐巳ちゃんを見て、祥子は苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
 「あ、そうだ、祐巳ちゃん。帰る前に渡しとかないと」
 聖がポケットをまさぐる。
 「何ですか?」
 うかれた祐巳ちゃんは跳ねるようにして聖に駆け寄る。祥子が気づく。
 「待って、駄目よ祐巳!」
 「へ?」
 振り向き加減もバッチリ。聖は再び祐巳ちゃんに後ろから襲いかかった。
 「ぎゃう!」
 「お年玉渡さないとね」
 そう、忘れてもらっては困るのだ。

  3

 「祐巳ちゃん、かーあいい。だーい好き」
 「ひーんっ、また嗅ぐ〜」
 「その手をおはなしなさい、白薔薇さま!」
 おお、祥子ったら格好いい! でももう目的は達したもんね。
 祐巳ちゃんをひったくるようにする祥子の動きに合わせて、聖はまたもあっさり腕を解く。
 「いいかげんになさい、白薔薇さま!」
 祐巳をかばい、きっと睨みつけてくる祥子に、聖はVサインをして見せる。
 「……何よそれ、勝ったとでもおっしゃりたいわけ? ばかばかしい」
 ちがう、というように聖は首をゆっくりと横に振った。
 「二回。二回ってこと。今日はもう二回も抱っこした。いいの祥子? 私に負けこんでも」
 そう言われてうつむいた祥子。さあどう出る? また怒るか? それとも。
 だが顔をあげた祥子の反応は、怒るでも、まして、その「それとも」でもなかった。
 なんと祥子は笑みを浮かべていた。瞳の輝きもかつてなく、それは凄まじい美しさだ。聖はここにきてはじめてどきりとした。
 「わかりましてよ、魂胆が」
 再び平素の調子をとりもどしたのか、祥子は君臨する生粋の姫君然として言った。
 「どうしても私にここで祐巳を抱かせたいわけね」
 「うん、そう」
 「そうは問屋がおろすものですか」
 しくじったか、と思いながらも聖はまだあきらめない。仕方がない、奥の手だ。
 「だって祐巳ちゃんが抱っこしてほしいって言うんだもの。祥子に」
 「えっ?」
 「うげっ!」
 うげっ、ってのはもちろん祐巳ちゃん。それは言わない約束でしょう、って顔してる。ごめん、でももう祐巳ちゃん使うしかないんだ、たぶん。
 祥子は祐巳ちゃんにゆっくりと向き直り、表情を変えずに言った。
 「本当なの、祐巳」
 「ち、違うんですっ、言ってなくて、その……」
 「おこらないから、おっしゃい」
 「いえっ、私は、その、別に、いいんですっ。あのっ、お姉さまにタイを直して頂いたり、お、おててをつないでもらえるだけで、もう充分です。本当に、私は、それだけで幸せでっ。お、お姉さまがそばにいてくれるだけで」
 「そう、よくわかったわ、祐巳」
 祥子は愛情と諦めがいりまじった顔をして言った。
 「抱っこしてほしかったのね」
 「なぜ、それをっ」
 なぜそれをもないでしょ、と聖は思った。祐巳ちゃんの顔が毎度ながら雄弁なのはさておき、言い訳のつもりで一生懸命に焦ってつらねたその言葉。ほだされないやつなんかいない。
 「白薔薇さま」
 祥子は祐巳ちゃんに視線を落としたまま言った。
 「仕方もありません。その勝負、受けてたちます。この子が求めているのだから」
 おお、ついに、と聖は感じた。祥子のその言葉はなんかまたしても複雑な意味合いになってるみたいだけど。
 ここまでこぎつけたのは自分だったが、最後に祥子を動かしたのはやっぱり祐巳ちゃんの一声だったな、と思う聖。負けたぜ、祐巳ちゃん。
 「いいこと、白薔薇さま。そこで見てらっしゃい!」
 か、格好いいよ祥子! 抱っこする前の人間が言うセリフとはとても思えないけど。
 だが威勢のいい言葉とはうらはらに、おずおずって感じで祥子は祐巳ちゃんを抱きしめたものだから、聖はズッコケそうになった。
 ぎゅっ、なんてとてもいえない。せいぜい、きゅって感じだ。
 「お、お姉さま」
 まあ、でも祐巳ちゃんはうれしはずかしって感じだから、いいのか。硬直してるけど。
 「祐巳、わかってるわね、これは勝負よ」
 なんて素直じゃない祥子は余計なことを言いながら、文句はないでしょ、って感じで聖を見た。
 「どう?」
 いや、どう言われても。
 「うーん、まだまだだね」
 「まだまだ?」
 ピクリと祥子の片眉があがる。
 「抱っこしただけじゃね。やっぱ甘い言葉の一つもかけてあげないと」
 「甘い言葉……?」
 ここでさっきの布石が活きてくる。なんだかゾクゾクしながら聖は言った。
 「そう、『可愛い』とか『大好き』とか」
 「う」
 「私言ったでしょ、さっき祐巳ちゃん抱っこした時」
 「う」
 「回数より中身で勝負なんでしょ? 中身が大事なら、ねえ?」
 聖はせいぜい意地悪く言ってやった。
 「それとも、可愛くないのかなー、祐巳ちゃんのこと」
 「そ、そんなことは……」
 えっ、えっ、てことは、どういうこと?、って、目をキラキラさせて祥子をうかがう祐巳ちゃんから、祥子は顔をそむけるようにしてぶつぶつつぶやく。なんで不服そうなんだよ。
 「てことは、言えるよねえ、祐巳ちゃんに」
 「……わかりました。いい、祐巳、わかってるわね。これは勝負よ。私は負けるわけにはいかないの」
 「はいっ」
 観念した祥子はまた何か言っているけど、祐巳ちゃんはたぶんわかってない。
 「かっ、かっ、かっ」
 金鳥のCMかお前は。
 「か、『可愛い』わ、祐巳」
 「お姉さま……っ」
 祥子は意地を張って言っているだけだろうけど、祐巳ちゃんはもうメロメロだ。
 しかし今日の聖は容赦ない。
 「よし、それはクリア。でも、もう一つあったよね、祥子?」
 「もう一つ?」
 「そ、もう一つ。私が言った甘い言葉。忘れたとは言わせない」
 「そ、それは……」
 「あれ、祐巳ちゃんのこと好きじゃないの?」
 祥子は何も言えない。らんらんと目を輝かせて否定の言葉を待っている祐巳ちゃんの前で、きりきりと歯噛みするばかりだ。
 聖は追い打ちをかけた。
 「中身、中身で勝負でしょ?」
 「も、もう一度、そのもう一つの言葉を確認してもよろしくて?」
 「ダメ」
 「くっ……」
 再び観念した祥子は、またも祐巳ちゃんに余計な念を押す。
 「わ、わかってるわね、祐巳。勝負、勝負で言うんですからね」
 「はいっ」
 祥子、無駄だ。絶対わかってない、祐巳ちゃん。
 「だっ、だっ、だっ」
 またか。やっぱり姉妹だこの二人。
 「だだっ、だっ、『大好き』よ、祐巳」
 「お姉さまっ、わ、わ、わ、私も、むがっ」
 なんと祐巳ちゃんの口を手で塞いでしまった祥子。どうみても応えて本心を打ち明けようとしかけた祐巳ちゃんを、とんでもないとばかりに制止した。
 これは対抗心だろうか、それとも嫉妬だろうか。そんな紅薔薇のつぼみ姉妹を見ていて、ついメラメラとしてきた聖は。
 「ちょっと、祐巳ちゃん痛がってるよ」
 「えっ」
 と、聞いた祥子が腕を解いたすきに、聖はらくらくと祐巳ちゃんをさらって抱っこした。
 ちょろいぜ。
 「ぎゃ」
 でも今はなんか傷つくわ、その怪獣っ子ボイス。
 「卑怯な!」
 叫ぶや祥子は祐巳ちゃんを奪い返そうとしてきたから、聖はすぐに祐巳ちゃんを解放した。そう、その素直さが大切だよ祥子。
 手をとって奪い取った祥子は、かばうつもりもあってか、さっきよりもきつく祐巳ちゃんを抱きしめる。
 「きゃう」
 私は「ぎゃ」、で祥子は「きゃう」か。祐巳ちゃん、扱い違うよ……。
 「大丈夫? 祐巳」
 「だめだなあ祥子、簡単に祐巳ちゃんをはなすようじゃ」
 「なんですって? 白薔薇さまが『痛がってる』なんておっしゃるからでしょう。盗っ人たけだけしい」
 「まあ、簡単に私に奪われたのは事実よね。楽勝だわ」
 「くっ」
 「どうせまた、すぐはなすに決ってる」
 「もう二度とはなしません!」
 よし乗ってきた。こっちの口車が本当の罠なのだ。
 わー、なんだかドキドキする、って顔する祐巳ちゃん。よしよし、最後のお年玉、しっかと受けとれい。
 「どうかなあ、祐巳ちゃんに誓える?」
 「誓えますとも」
 わかってない祥子はしっかりと抱きしめた祐巳ちゃんの目を見て、言った。
 「もう二度とはなさないわ、祐巳」
 「くうんっ」
 子犬みたいな声をあげて、とうとう祐巳ちゃんはくずおれた。
 祥子の膝もとでぶるぶる振るえている。
 「ど、どうしたの祐巳っ! 痛かったの!?」
 びっくりした祥子もしゃがんで祐巳ちゃんに手をかけようとするが。
 「さ、触らないでっ」
 急に拒絶された祥子は何もわからず、すっかりうろたえておろおろとしている。
 「祐巳、そんな。わ、私のことが嫌いになってしまったの?」
 ふるふると首を振ると、なんと祐巳ちゃんの方から祥子に抱きついてきた。
 祥子はもうなにがなんだかわからない様子。
 うーん、お年玉、ちょっとハードだったかな。
 「祐巳ちゃん、こんなふうになったの初めて?」
 聖の質問に、コクンと祐巳ちゃんがうなずく。
 「ふふ、よかったね祥子。初めてだって、祥子が」
 「い、いったい何が」
 「あれ、祥子もわかんない? ふーん、じゃあ」
 扉を開けて、聖は帰りぎわに最後の意地悪、あるいはやさしさを見せた。
 「教えてあげない。じゃあね、お二人さん」

  4

 そこに珍しく江利子が入ってきたので、見てもらう。
 「どう、江利子? 面白い?」
 「うーん、面白いけどね、なんかやらし過ぎない? 冒頭の書き出し関係ないし」
 ここは薔薇の館。
 誰も来なくて退屈していた聖が、つい無駄紙に身内をネタにした小説を書きちらしていたところ。
 ようやく来たのが、珍しくも受験組の江利子だった。
 書いてたのを見られたし、江利子は読者としてこの上ないとも思った聖。恥じるふうもなくそれを読ませて、感想まで求めたわけである。あんのじょう、身内が書いた、しかも身内ネタ小説ということでダブルに好奇心を刺激されて、江利子はくいついてきた。
 蓉子だったら、こうはいかない。
 「そっかなあ。別にやらしい言葉とか使ってないんだけど」
 「そういう問題じゃないでしょ。途中はともかく、最後、祐巳ちゃん……ダメじゃん」
 江利子はさすがに言葉を濁した。
 「そっかあ。最後が問題か。てことは、途中はいい? 一応リアルテイスト狙ったんだけど」
 「いや、どうだろ、こうなるかなあ? やっぱり祥子、出てっちゃうんじゃない?」
 「そこを出てかないようにするために一応苦心したんだけどね」
 しかしさすがは江利子。こんなことには真面目になって検討してくれている。
 「それにやっぱり最後よね。これは無理があるでしょ、さすがの祐巳ちゃんも、抱っこだけで」
 「いや、やっぱりそこはちょっと違う。確かめたし」
 「え?」
 やばい、口がすべった。
 「確かめたって……ちょっと聖、あなた、まさか、ここに書いてあること、やったんじゃないでしょうね?」
 「やってないやってない」
 あわてて聖は否定して。
 「でも、抱っこだけでも、ありうることは確か」
 「本当?」
 「なんなら江利子、試してみる?」
 聖はいたずらっぽくほほえむと、江利子を抱き寄せた。

  ◆

 そこに志摩子が入ってきたので、見せてみる。
 「どう、志摩子。面白い?」
 「面白くなんかありません。書き出しも関係ありませんし」
 はああ、とため息をつく志摩子。こっちを見る目も冷たい。
 薔薇の館に来た志摩子に、ラッキー妹だ、とばかり聖は書きかけていた小説を読ませた。 
 「軽蔑しますよ、お姉さま」
 「がーん、それはひどい」
 「だいたいなんで、祐巳さんに江利子さまなんですか?」
 「ん? まあなんていうか、これ、大晦日に思いついててさ。紅白見ながら。だからタイトル先行で。それと江利子は……って、そうか、なるほど。志摩子」
 「な、なんですか?」
 聖は妹の名前を急にオクターブ下げた口説き声で呼ぶものだから、志摩子はどきりとしたようだ。胸に手をあてている。
 「嫉妬してるのね? まず祐巳ちゃんだし、次が江利子だから」
 「そんなこと」
 と言いながら志摩子は頬を染めて、目を泳がせた。ふふ、可愛い妹。
 聖は志摩子に近づくと、ゆるやかに波打つ髪をそっと撫でてやる。
 「志摩子、最後、祐巳ちゃんがどうなったか知りたい?」
 「き、聞きたくありません」
 「そう、じゃあ、聞かせない。でも」
 そう言って聖は、志摩子をやさしく抱き寄せた。
 「教えてあげる」

  ◆

 「何書いてんのよ、この馬鹿!」
 ベシッ。
 聖は蓉子に後頭部をはたかれた。
 「書き出し関係ないし……あなたまさかこれ、祥子や祐巳ちゃんにみせてないでしょうね?」
 「みせてないみせてない」
 叩かれた頭を撫でながらあわてて否定する聖。
 薔薇の館で暇つぶしに書いていたものを、蓉子に見られたのはまずかった。本編のネタが紅薔薇姉妹だけに、蓉子の怒りもひとしおだ。しかし受験でしょ蓉子、なんでこんな時に現われるかな。
 けれど蓉子の聡明さをあてにして、聖はめげずに一応きいてみる。
 「で、どうかな?」
 「何が」
 「内容」
 「変態」
 ええそうですよ、わたしゃ変態ですよ。
 「まあそこはさておいてさ。あるじゃないほら、文章とか、なんとか」
 「……変に上手いのがむかつくわ。妙なリアルさがあるし……て、まさかとは思うけど、聖、あなたこれ、実際やってないでしょうね?」
 「や、やってないやってない」
 「本当? あの二人にこんなことしたら、『いばらの森』直行じゃない。あなたのことだから、信じているけど。わかってるんでしょうね、聖」
 「わかってるわかってる」
 蓉子の剣幕もおそろしいけど、蓉子の勘はもっとおそろしい。なんて思ってしまう聖。
 「まったく、なんで急にこんなもの書き出したんだか」
 「いや、ちょっと逃避で」
 「逃避?」
 「そう」
 「何のよ」
 まあいいか、初めて伝えるんなら、蓉子に伝えたい。
 「受験しようと思ってる」
 窓からさし込む日差しが、聖のほほえみを隠しみせる。
 「え?」
 驚く蓉子に、聖は言った。
 「ちょっと歩かない?」


 静かな冬の風を受ける、リリアンの桜並木。
 まだ枝にはそれとして現われていないけれど、桜たちはもう春に花咲くつぼみを準備しているはずだ。
 「聖」
 呼ばれて聖は仰ぎ見るのをやめ、蓉子へと視線を下ろす。
 「リリアンを受けようと思って」
 聖は桜の幹をそっと撫でた。
 つぼみを育むものの流れを確かめたくて。
 「そう」
 よろこんでくれているのか、それとも。
 蓉子の表情はうかがい知れない。
 「それで最近、受験勉強を始めたんだ」
 「それで逃避で、あんな馬鹿なもの書いたのね」
 この蓉子の表情はよくわかる。あきらかにあきれてる。
 「ちぇ、蓉子は内容読んでくれないんだ」
 「なにいってんの。読んだけど、ばかばかしい」
 「江利子や志摩子みたいに、祐巳ちゃんがどうなったかとか、訊いてくれないんだ」
 「え?」
 いつのまにか聖は蓉子のそばに立っていた。とても近く。
 「やめてよ」
 蓉子は顔をそむけて距離をとる。切りそろえられた髪からのぞく頬が、赤い。
 聖はそれだけで満足した。
 「あの子を待っているみたいで嫌だったんだけど。リリアンに残るのは」
 あの子とは栞のことだ。でも蓉子には説明はいらない。
 「でも、太陽みたいなあの子がいたから」
 「あの子?」
 この、もう一人の「あの子」については、聞き返してくる蓉子。
 「福沢祐巳」
 聖はほほえんだ。
 そう、あの子は太陽。そして、その大陽を妹にした祥子。
 私は照らすものを焼き尽くしてしまった月。
 「あの二人を見てると、ちょっと心配になるんだ。イライラするって言った方がいいかもしれない。蓉子をさしおいて何だけど」
 それでつい、と聖は苦笑した。それでつい、あんな小説を書いてしまった。
 振り向くと、不思議と蓉子はほほえんでくれた。
 「でも、もう書かないで。あれは、あの二人にはかえって毒よ」
 「わかってる」
 私は毒を持っている。
 「でも、小説は書きたくてね。逃避だけじゃなくて」
 「どうして」
 「練習なの。習作」
 「習作?」
 「そう。『いばらの森』を読んで、書きたくなったんだ」
 はっとする、聡明な蓉子。
 「そう。栞とのこと、書いてみようと思う」
 蓉子は書き出しの意味もわかってくれたはずだ。
 「タイトルはもう決めたの。タイトルは」
 ほほえんで、聖は言った。
 「『白き花びら』」


 「そう……でも」
 蓉子が聖に近づく。
 「何いい話にしようとしてんのよ!」


 私は蓉子にグーで殴られた。


  完 (2003.8.31up)


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