une Sable nouvelle a L'eau de rose 黄薔薇さま、人生最良の日?

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  黄薔薇さま、人生最良の日?


「ごきげんよう!」
 やけに張りのある声を出して、扉を開けて入ってきたのは江利子。
 その表情までが、すごく明るい。
 ありえない。
 蓉子はいやな予感がした。
 紅茶の入ったカップを口元に寄せたまま、蓉子はつい隣の聖に視線を送ってしまう。
 同じ予感を抱いているのか、やはり聖も蓉子へと睨み目を向けたところで。つい二人はお互いの視線を迎えあってしまう。
「あら、二人っきり? ふふっ、お邪魔だったかしら、なんて」
 江利子は私たちにわけのわからないご機嫌取りを言うと、足どりも軽く椅子に鞄を置いて、いよいよ軽やかに流しへと歩いて。
 そして自分の紅茶を用意しながら、江利子は。
「フンフフンフーン……」
 なんと鼻歌まで歌い出した。
 ただごとではない。
 といっても、これは初めてのことではなくて。過去に何度か、こうなった江利子に蓉子たちはつかまってしまったことがあったのだ。
 だからなおさらうんざりするのだけど、と思う蓉子。
「あれかな」
 能面、というかギリシア仮面劇のような顔をして、聖はすっと蓉子に耳打ちした。
「あれでしょ」
 蓉子もささやくようにして応える。
 聖も蓉子と同じく確信した様子。これはあれだ、と。
 ここ一週間ばかり、憂鬱ぶりに磨きがかかっていた江利子だから。私と同じく聖も、そろそろなんじゃないかと察していたらしい。
「先月、いつだったっけ」
「たしか1日」
「今日も1日」
 きっかり一ヶ月ね、と、蓉子と聖は二人してささやきをハモらせて。
「はああ……」
 ため息もハモらせてしまう。
 さすがに二人ともため息は遠慮せずついたので、流しに立つ江利子もそれを聞きつけて。
「やあね、あなたたちったら、ため息まで仲良くしなくても。どうかしたの?」
 振り返ってそう言った江利子は満面の笑顔。
 どうかしたのはお前だ江利子、と聖は蓉子が聞き取れるだけの小さな声でつぶやいてくれた。ああ、同感。
 やっぱり私たちは友達よ、聖。
「変よ、今日のあなたたち」
 なんて言いながらも、江利子はといえばあくまで機嫌をくずさす、それどころかちょっとカワイコぶったスネた顔までして見せるのだ。蓉子と聖はおぞけに震え上がった。
「フンフフンフーン……」
 そしてまた鼻歌。
 たまりません。
 蓉子と聖は祈った。どうか早くお湯が沸いてくれますように。
 江利子が紅茶の入ったカップを持ってテーブルについたのは、蓉子が額にふき出たいやな汗をハンカチでぬぐっている時だった。
「で、どうしたのよ」
 聖が忘れた時のために、いつも蓉子が持ってきているもう一つのハンカチを受けとって、聖がやはり額をぬぐいながら江利子に訊ねる。
「えっ、どうしたの、って?」
 江利子めはなんと眉をあげて、ぱあっと顔を輝かせて聞き返してくる。
 もうがまんならない。
 蓉子が詰めを打つ。
「だから、なにかあったのでしょう?」
「ふふっ、わかる?」
 なにがふふっ、だ、わからいでか!
 蓉子は心に叫んで。似合わない小悪魔のほほえみなんぞ浮かべている江利子を尻目に、ふたたび聖と目を合わせて心の叫びを唱和したことを確認した。
 ああここに、この苦境に戦友がいる。
 なんとありがたいことだろう!
「私ねえ、ついに見つけたのよ……」
 不意に燃えさかる友情に打たれた私たちとはまったく違う調子で、江利子は両手を組んで瞳をキラキラとさせて、天上の光なぞ断固到来していない薄暗い天井を見上げている。
「あっ、でも、こんな言い方じゃわからないわよね。ごめんなさい」
「将来なりたいもの見つけたんだろ」
 はすっぱに聖が吐き捨てた。許す。今日だけは。
「えっ、どうしてわかったの?! すご〜い! 聖ってば、エスパー?」
 エスパーならとっくにあんたをどうにかしてる、そう聖の顔を読めたのは逆に蓉子の方。
 いけない、私たちの限界が近づいている。
 蓉子はさらに詰めた。
「いいから、江利子。で、なりたいものって何?」
「うっふ〜っ! よくぞ聞いてくれましたっ! ねね、聞いてくれる?」
 ああ……額の血管がぴくぴく動いているのが自分でもわかる。
「きっ、聞いてあげるからはやくおっしゃい」
 この紅薔薇蓉子にどもらせた罪は後で償ってもらうから。
「なによ、怖い顔して。ついにこの迷える子羊鳥居江利子が将来の夢をつかんだのよ? 人生最良の日よ? 親友の幸せをもっと寿いでくれてもいいじゃないの」
 ええ、その「人生最良の日」が一度しかないのであればね。
 ちょっと待って。
 何?
 何か言ったわね。どさくさにまぎれて親友とかなんとかこのでこちん。
 かろうじて叫ぶのをこらえて、ふるえている蓉子にかわって、聖が助け船を出してくれた。愛してる。
「はいはい。で、何になりたいっての?」
「派遣のメイド」
 なんで!?
「ふふっ。なんで、って顔してるわね、蓉子」
 この、紅薔薇蓉子に読みやすい表情をさせた罪はあとで必ず償わせてやるんだから。
「メイドって、いまさら江利子が夢みるような仕事?」
「ちっちっち、ただのメイドじゃなくてよ。派遣メイド」
「どう違うっていうのよ」
「いろんなご主人様のお宅に派遣されるのよ」
「まさか、派遣された先のご主人の秘密の悪事を暴けるから、とかじゃないでしょうね」
 聖が妙なさぐりを入れる。
「そう! そうよ。どうしてわかったの聖!?」
 すごーい、やっぱりエスパー?、みたいな小憎らしい江利子のつけたしをさえぎって。
「江利子、あなた昨日、ドラマ見たでしょ」
 市原悦子の『家政婦は見た』シリーズの再放送、と、よどみなく聖は続けた。
「見た! なんでわかるの?!」
「私も見たからじゃーいっ!!」
 とうとう聖はキレて立ち上がった。そうよ、やっておしまい!
「な、な、なによいきなり」
 さすがの江利子も肝を潰した様子。
 続いて聖は誰もが待ち望んでいた攻めを打った。
「こないだの夢はどうなったのよ!」
「こないだって……何だっけ?」
「忘れんなやこのボケ。漫才師になるって言ってたじゃない、漫才師!」
 聖はまさにツッこむ。
「ちょうど一ヶ月前の一日よ。江利子、あんた、ここに来るなり何てった? 『ついに見つけたねん、わいの夢が見つかったねん』っていきなり関西弁かよ!? その時もあなた、前の日にテレビで『やすきよ』の懐古番組見て思いついたんじゃないの!」
「そ、そうだっけ?」
 そうだ、その通り。
 蓉子は腕を組んで、うんうんとうなずいた。
「そのひと月前は何て言った江利子? NASAよ、NASA! たしかに『月面着陸は嘘だった』特番を見て、逆にNASAに入ろうってその心ばえは良い! だけど、ひと月ももたないで鬱っては他の夢に移るってのは何!? そうか、鬱だから移る。さすが江利子、ってボケツッコミさせるなこん畜生!」
 そうだ、漫才だって聖の方が巧い。
「その前はペットブローカー。その前は田中真紀子。って真紀子職業じゃ無い! 国会議員! 真紀子は名前!」
「えっ、違うよ」
「何が違うのよ」
「真紀子が後でペットブローカーがその前」
「そっちかよ! って前の夢の順番までバッチリ覚えとるんちゃうんかいこのヤロウ!」
「あーん、ごめんなさーい」
 江利子は首をすくめて頭をかかえて見せる。まるで祐巳ちゃんみたい。
 ああ、溜飲が下がる。
「まったく、ひと月ごとに躁鬱に付き合わされるこっちの身にもなれってものよ、このでこちんが」
「でこちん言うな!」
「早っ!」
 たしかに早い。ああその言葉はまずい、と蓉子が思う暇もなく間髪入れず今度は江利子がキレた。
「じゃあ何よ聖。そういうあなたには立派な夢があるっていうの? このレズ外人!」
「レズ言うな!」
「あーら、じゃあガイジンなのは認めるのね?」
「なんだとこのでこちん!」
「レズでガイジン! お前のが二倍悪いわ!」
「わけのわからんこと言うな!」
 まあ、わりとドツキ漫才としては成立してるけど。
 ここは蓉子の出番。
「ちょっと、二人ともいいかげんになさい。仮にも薔薇さまが……」
「うるさいこの優等生ブリッコ!」
「うるさいこの優等生ブリッコ!」
 ハモり……やがったわねこの!
「ブリッコ言うな! このでこちんガイジンレズ!」
「そんなトリプルゴージャスなんおらんわ!」
「そっちがでこちんでこっちがガイジンレズじゃい!」
「こんな時にも明晰かよ!? ってブリッコうまいこと流すな!」
「ブリッコ言うなこの躁鬱ブリッコ!」
「そうだこの躁鬱でこちん! 二倍悪いわ!」
「わけのわからんこと言うな!」
 ああ……もうだめ。口が勝手に動いてしまう。
 二人と一緒に漫才機械と化した蓉子の身体の奥で、いつもの冷静な蓉子はおろおろと眺めるばかり。
 あっという間に漫才口調になじんだおのれの器用さがうらめしい。とはいえこんなにたやすくこの二人に巻き込まれるなんて。よっぽど江利子によるストレスが大きかったんだわ。それにしてもなんてこと。ああ、薔薇の館の品位が……。
 その時、狭くなった視界の向こうで扉が開いた。
「ごごご、ごきげんよう……」
 扉ぎわに立って、おびえていよいよちぢこまっている、そのツインテールのちっこい生徒は祐巳ちゃん!
「あら、祐巳ちゃん、ごきげんよう」
 気品あふれる声で蓉子は応える。
 扉の奥にひっこんでいる祐巳ちゃんが、肉体の奥にひっこんでいた冷静な紅薔薇の蓉子をひっぱり出してくれたのだった。そしてそれは蓉子だけでなく。
「ごきげんよう、祐巳ちゃん」
 隣の聖もニコニコして応える。もちろん座って。
「ごきげんよう」
 隣の江利子も優雅に応える。もちろん座って。
 つまり私たちは、すでにして薔薇の館に構えるいつもの品格ある三つの薔薇だった。
 そこでようやく祐巳ちゃんもほっと胸をなで下ろして。というか「ほっ」と言いながら手で胸を撫で下ろして。
「よかった、私てっきり」
「てっきり?」
「あ、いえ、な、なんでもないです」
「なあに? 気になるじゃない」
「あ、えと、その。薔薇さまたちが、その、喧嘩、してるんじゃないかとばかり」
 あはは。
 ふふふ。
 ほほほ。
 私たちは口ぐちに手を添えて笑って。
「嫌だな祐巳ちゃん。私たちが喧嘩なんかするわけないじゃない」
「そうよ。ねえ、黄薔薇さま」
「ええ」
 蓉子がほほえみかけると、江利子はうなずいてみせた。
 そのいつもどおりの、物憂げな顔をして。


  完 (2003.11.17up)


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