une Sable nouvelle a L'eau de rose かりもの競争
かりもの競争
こっ、こんにちは。
あっ、じゃなくて、ごきげんよう。
祐巳です。福沢。松組。二年生。リリアン女学園高等部の。
あわててて、自己紹介するにもつい倒置してしまった祐巳だけど。
「祐巳さん、それじゃあFBI捜査官の緊急呼びかけみたい」
なんて、淑女らしく四つ指をぴっとそろえて祐巳の耳に口を寄せ、小声で志摩子さんもつっこんでくれたけれど、なんのことだかよくわからない。
競争と名のつくものは勉強でも体育祭でも何でも苦手で。だからすでにコチコチになっている祐巳とは違って。
「ごきげんよう、二年藤組、籐堂志摩子です」
と、こちらは優雅に、志摩子さんがご挨拶。
「ご、ごきげんよう、白薔薇さま、紅薔薇のつぼみ。次のかりもの競争においでになる二年生ですね。こ、こちらへっ」
なんて、体育祭運営委員の生徒も緊張している。ちょっとおかしな日本語で。うわわ、薔薇さまだっ、って顔して。そうか、人の顔って、こんな風に読めるんだ、なんて思ってしまう祐巳。というか、いつもは祐巳が一方的に読まれまくっているのだけど。
運営委員の生徒の誘導で、志摩子さんに続いて祐巳も二年生の走者の列に並ぶ。前には一年生の列、後ろには三年生の列。あれ?
たしか借り物競争には、山百合会幹部から他にも誰か出るって聞いていたのだけど。聞き間違いだったのかな、なんて思っていると。
《さあ、次はリリアン名物、かりもの競争です!》
アナウンスが流れて。
ワーって、ものすごい歓声が。
すごい。借り物競争って、こんなに人気あったっけ。
でも、リリアン名物っておかしいような気がする。わりとどこでもやってるものだと思うんだけど。なんてよそ見をしていたら。
パーン!
「ひっ」
号砲が鳴って、祐巳はびくっとしてしまった。
「祐巳さん、ほら、次よ」
本当にウサギさんか猫さんみたいに、両の拳を丸めて胸元で構えてしまっていた祐巳の手を、志摩子さんが手にとってくれてスタート位置に導いてくれた。
ああ、志摩子さんがいてくれて、本当によかった。
《さあ、まずは一年生の組がスタートしました!》
アナウンスが聞こえて、またひときわの歓声が。そうか、一年生がもうスタートしたんだ。さっきの号砲はそれだったんだ。って、今ごろ気づいたりする祐巳。
自分の番がいつ来るのかドキドキしながら、祐巳が一年生の走りっぷりを見ていると。
みんな中間地点に吊るされた紙をひらいて書かれた借り物を確認するや、すごい勢いでレーンを離れて観衆の生徒に突っ込んでいく。
たいがいこういう時の借り物は、物だったら運営委員の物とか先生の持ち物であるとか、人だったらクラスメイトとか家族の誰か、とか、どっちにしろこの競技場にありふれたものだったりするわけだけど。
うわ、なんか凄い迫力。
借りるっていうか、選手はみんな奪うくらいの勢いで物をとったり生徒の腕をつかんだりして、一目散にゴールをめざして走っていく。
なんだかすごくドキドキしてきた。本当に駄目なんだ私、競争とか。
ドキドキしながら、いったい私の番はいつなんだろう、なんて祐巳がきょろきょろしていると。
「大丈夫。かりもの競争だから、一年生全員がゴールするまで私たちはスタートしないわ」
なんてすかさず教えてくれる志摩子さん。祐巳が安心するように、にっこりほほえんでくれる。もう、志摩子さん大好き。って。
その志摩子さんの向こう、号砲を打つ先生のそばの立て札に書いてある、競技名が祐巳の目に入ってきた。
あれ? なんか字がおかしい。目をこすって、もう一度よく見るけれど。
『狩り物競争』
借り物、じゃなくて、狩り物。
狩り?
英語で言うと、ハンティング?
じゃあ借り物だと英語では何て言うのだろう。じゃなくて。
「し、志摩子さんっ」
「何?」
「これ、借り物競争じゃないの?」
「ええ、狩り物競争よ」
ああっ。かりものにかりもの、音が同じだ。
祐巳は頭を抱えた。何て言えばいいんだろう。私きっとこっちじゃなくて借り物競争の選手なのだ。だからそれも間違っていて。何て言えばいいんだろう。ああん、なんて、なんて、なんて!
そ、そうだっ。
「いやだから、か、借りる方の借り物じゃないの?」
「え、だから、狩る方の狩り物でしょ?」
「ち、違うの。いやそうなの。だから私借りる方の選手で。だ、だからっ」
「位置について!」
先生が号令する。
だめだ、この大歓声。ここで私だけ「待った」なんて、かけられない。
こんなのってひどい。祐巳はどっちかっていうとウサギさんなのに、ウサギさんに狩りをさせるなんて、ひどい。逆だ。いや逆に狩られるのもいやだけど。でも。
「用意!」
とにかく祐巳は覚悟して。
パーン!
走った。
もうこうなったら、狩りでもなんでもやってやる! ウサギさんだけど!
《さあ、リリアン名物狩り物競争! 続いて二年生がスタート!》
大歓声。
そうか、狩り物だから。だからリリアン名物なんだ。だから一年生はあんなに乱暴に奪ってたんだ。なんて邪念は、浮かぶたびにふりほどいて祐巳は走る。
《なんとこの組には白薔薇さま、紅薔薇のつぼみがいます! 勝つのはどちらか!》
超、大歓声。
祐巳は必死で走った。隣の志摩子さんのポニーテールにだって負けないくらい、ツインテールを振り回して。
中間地点!
借り物、じゃなくて狩り物の紙!
祐巳はひったくるようにして紙を開いて、そこに書かれていた文字は。
『妹(プティスール)』
「だから! いないってそんなもの!」
祐巳は絶叫した。
狩りへと蜘蛛の子を散らすように走りだす選手たちに置いていかれ、立ちつくす祐巳。私ひとりだけ。と思ったら。
祐巳の隣で、志摩子さんも立ち止まっていた。開いた紙に視線を落として、凍りついたようにして立っている。
その、志摩子さんの紙には。
『姉(グランスール)』
うわ、これもひどい。二年生だからって、妹もいなけりゃ、姉もいないってことはありうるのに。
そう、祐巳には妹なんてまだいないし、志摩子さんのお姉さまの佐藤聖さまもご卒業なさって、もういない。
「なにしてるの、祐巳さん!」
ああ、由乃さん。応援してくれて。
「馬っ鹿じゃないの!?」
ないね。その分だと、きっと祐巳が借り物競争と間違えて出たのに気づいたんだ。でも、馬鹿って言われても、何も感じられないくらいピンチだよ。それにしても、なんで由乃さんの隣に令さまもいるんだろう。学年違うのに。ニコニコ手を振ってるけど。
「なにしてるの、祐巳!」
わっ、祥子さまだ。観衆の中でもお姉さまはすぐ見つけちゃう。
ポニーテールにした美しい黒髪を振って、手を振って、祥子さまは応援してくれている。というか、ぼけっとつっ立ってる私を叱ってるのかも。でも、どっちでもうれしい。
「志摩子さん、しっかり!」
乃梨子ちゃんが応援する声も聞こえる。一年椿組のあたり。いた、あそこだ。
(……あ!)
その時、祐巳に名案が浮かんだ。すごい、珍しい。この土壇場で。火事場の馬鹿力だ。いや力じゃないから、火事場の馬鹿知恵。でも馬鹿知恵じゃ、馬鹿だか知恵だか。じゃなくって、だから!
祐巳には妹はいないけど姉がいる。
志摩子さんには姉はいないけど妹はいる。
だから、この狩り物の紙を。
「志摩子さん! 交換!」
「いやよ!」
早いっ! のみこみが。そして断るのも。さすが志摩子さん賢い。じゃなくて。
「どうしてっ? だってその方が」
「私、聖さまつれてくる!」
そう叫んでこっちを向いた志摩子さんは。
志摩子さんは、泣いているのにすごい笑顔で。
祐巳は賢くないけれど、志摩子さんのその気持ちだけは、すぐに全部わかっちゃって。
「じゃあ走って!」
って、叫んだ。
「走れ、志摩子さん!」
「うんっ!」
大学校舎へと駆け出す志摩子さん。
「志摩子さん、名前、叫ぶの! 来てるかもしれないから!」
「聖さま! 聖さま!」
志摩子さんが心から叫んで走る。
《なんと、白薔薇さまの狩り物は先の白薔薇さま、佐藤聖さんのようです!》
アナウンス。そしてすごい大歓声。
背筋がふるえちゃう。
「聖さま! どこですか聖さま!」
大観衆の前で、あられもなく大好きな人の名前を叫んで、走って、探す志摩子さんの姿。
こんなこと、こんなこと、みんなの前で志摩子さんが出来るなんて、きっとはじめてだ。きっとこの時だけだ。だから。
「そう! 聖さま狩っちゃえ!」
って、祐巳は叫んだ。
志摩子さんの背中を押したくて。
志摩子さんを応援したくて。
そしてその時には、祐巳の心も決っていた。
そうだ、狩っちゃおう、って。
妹を狩っちゃおう、って。
祐巳は走り出す。
走りながら大声で叫んだ。
「妹よ! 私の狩り物は妹!」
《なんと、紅薔薇のつぼみの狩り物は「妹」です!》
アナウンスに続く大歓声に取り囲まれて、祐巳は走る。
走る。
その先は観衆の中、一年椿組の生徒が集まり並ぶ場所。
気になるあの子のいる場所。
それはもう、すぐそこ。
驚いている乃梨子ちゃんの顔も見える。
そして。
なぜか真っ赤になっている瞳子ちゃんの顔も。
祈るようにして両手を組む可南子ちゃんの顔も。
一年椿組の前で立ち止まって、祐巳は叫んだ。
「妹を狩りに来たの! 妹が欲しいの!」
そして祐巳は、さっとその子に手を伸ばす。
完 (2003.10.3初出@journal/10.24up)
une Sable nouvelle a L'eau de rose 薔薇の観察
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