une Sable nouvelle a L'eau de rose 薔薇の門

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  薔薇の門


  1

 「ごきげんよう!」
 元気な挨拶を残して、祐巳は祥子について扉の向こうに消えた。
 会議を終えた館には、薔薇三人衆の他、黄薔薇のつぼみ姉妹が残った。
 最後のお茶を静かに楽しむ沈黙を破ったのは、やはりこの女であった。
 「たまらねえ、な……」
 白薔薇聖はそう言い、朱をひいたように赤い唇をちろりと舌で舐める。
 白磁のような肌が、ぱっくりと切れたかのようであった。
 白い、蛇のようでもあった。
 「たまらねえな、なあ。おめえ、よ……」
 白薔薇は隣の黄薔薇江利子に同意を求める。
 祐巳のことを、言っているのである。
 祐巳はたまらない、と。
 それを忌まわしいものでも見たかのように、また聞いたかのように眉をひそめて、顔も向けずに口を開いたのは、紅薔薇蓉子である。
 「白薔薇さま」
 「なんだい?」
 「あれは、祥子の妹よ。祥子の妹ということは、いずれ紅薔薇を継ぐもの」
 「それがどうかしたのかい?」
 「白薔薇は手出し無用ということよ」
 にいい。
 と白薔薇は笑って、言った。
 「それが、どうか、したのかい……?」
 先ほどとまったく同じ言葉を、念を押すようにゆっくりとくりかえした。
 紅薔薇はそこでようやく白薔薇の方を向いた。
 いや、白薔薇が向かせたのだ。
 (もはや目をそらしてはおれぬ……)
 そう、紅薔薇に思わせたものは。
 気。
 白薔薇が放つ、凄まじいまでの「気」であった。
 紅薔薇はすっと美しいまぶたを細める。
 白薔薇の輪郭からたちのぼる、白炎のごとき「気」が、もはや目にも見えるようであった。その、火炎の中から白薔薇の声が響く。
 「手出しをすれば、なんとする……?」
 ミシリ。
 その時、薔薇の館の壁がきしむような音をあげた。
 ミシリ。
 ミシリ。
 はたしてそれは、もとより壁があげた悲鳴であったのか。
 空気が鳴いているようでもあった。
 白薔薇と紅薔薇にはさまれた大気が、軋みをあげているのだ。
 「気」を「見る」ことのできる志摩子がいれば、部屋の空気が白と赤にまっぷたつに染め上げられ、その間で飛び交う無数の細い雷のようなものを見たであろう。
 「それが、答えかい……?」
 もはや常人には口も開けぬ圧力の中で、そう、かろうじて白薔薇は言った。
 紅薔薇は言葉ではなく、ふたたびおのれの「気」の圧を上げることでそれにこたえた。
 ミシリ。
 沈黙の中、大気の軋みだけが聞こえた。
 時を止められた空気が、硬度をましたかのようであった。
 その、誰も動けぬ圧力の中、一人平然と紅茶をすする者は。
 (……さすがはわが黄薔薇さま)
 令は奥歯を軋らせて姉の姿を見た。これもまた、炎の目であった。
 黄薔薇がカップをソーサーに置く、その聞こえぬほどの、かちり、という音が合図となった。
 「けいいいっ!」
 「ひふっ!」
 白薔薇と紅薔薇の姿はすでにテーブルの上にあった。
 椅子に座っていた者たちとも思えぬ、驚くべき跳躍。
 テーブルに蹴り登った勢いをそのまま使った白薔薇が、紅薔薇の頭を狙って天を突くような右の前蹴りを放つ。
 昇竜脚。
 由乃ははじめて見る、白薔薇聖の殺人技である。
 その速さ。
 鋭さ。
 よけきれるものか。令は思う。
 その足先が、紅薔薇のあごをくだいたかに見えた。
 あごが透明なものになったかのように、足先が過ぎる。
 鼻梁をはじいたかに見えた。
 だが、鼻が透き通ったかのように、足先が過ぎる。
 見切った!
 これが紅薔薇。
 恐るべき紅薔薇の見切り。
 由乃の背筋がふるえた。
 だが、白薔薇の双眸が光りひらめいたのは、その時だった。
 昇竜脚、と呼ばれた天を突くその蹴りが、文字通り館の天井を、とん、と蹴るや。
 その、同じ右足が、さらに前へとふくらんだ弧を描いて紅薔薇の頭上へと振り下ろされる。すでに先ほどの見切りで仰け反った紅薔薇の頭蓋めがけ、鉈のような蹴りが落ちた。
 二段蹴りのように軸足を振り上げることで威力を増したそのかかと落としは。
 降竜脚!
 紅薔薇の背骨は氷の柱に変わった。
 「ちぃっ!」
 「じゃっ!」
 紅薔薇はそれすらも身体を引きかがませ、同時に足をさばくことで見切りつけた。
 人の技とも思えぬ体さばき。
 玄妙の見切りであった。
 その瞬間、かっ、と白薔薇が笑みを浮かべたのを見てとることが出来たのは、わずかに黄薔薇だけであったか。
 たん。
 振り下ろしきった白薔薇の右足がテーブルを蹴り、再び跳ね上がった。
 白薔薇は浮いた左軸足をテーブルへともどしながら腰をひねり、右脚で横なぎに紅薔薇の頭を蹴りつける。
 二度の見切りでかがみきり、体勢の崩れた紅薔薇にはもはや避ける術はない。
 なんだこれは!?
 驚く令。
 昇竜脚でも、降竜脚でもない、これは……。
 薔薇十字脚!!
 昇竜、降竜の縦の蹴りとあわせて、今まさに横の蹴りによって十字が完成する。
 聖の腰と天才が生みだしたその恐るべき横蹴りが、紅薔薇の頭を吹き飛ばしたかに見えた刹那。
 その、紅薔薇の頬、ぎりぎりのところで、その蹴りはびたりと止められていた。
 ばかな、加減したというのか、あの殺気の最中に?
 令が思うや。
 くくく、と足も下ろさぬまま、白薔薇が笑った。
 「暗器かよ……」
 蓉子が顔を隠すように握った拳から、止められた聖の足へと、短い黒鉄の剣がすっと伸びていた。
 令は目を見開いた。
 あれは……!
 「暗器は由乃の得意だろう。器用だねえ、紅薔薇さまは」
 そう言って白薔薇はまた。
 くくく。
 と笑った。

  2

 「そこまでよ」
 再び紅茶のカップを持って、黄薔薇が言った。
 「おや、楽しんでいたんじゃないのかい、黄薔薇さま」
 「足をさげなさい、白薔薇さま」
 「さげねば、なんとする……?」
 だが、笑みをうかべたままの白薔薇は言葉とはうらはらに、素直にすっと足をさげた。
 先ほどまで白薔薇の脚が横に伸びていた空間を断ち切るように、白刃が走ったのだ。
 令の腰もとで、銘刀大般若長光の鍔が、ちん、と涼やかな音を立てた。
 黄薔薇の命令に呼応した、神速の令の居合術であった。
 「長ものを、よく使う」
 からからと、聖は笑った。そのままにしておけば足を断たれただろう者とは思えぬ笑い声である。
 「こわいこわい。得物を持った黄薔薇衆三人を一度に相手にする気は、無いさ……」
 本心ともつかぬ言葉に余裕をただよわせて、こわいこわい、とくりかえしながら、白薔薇はふうわりと椅子に戻った。
 武器が無ければ三人がかりとて敵ではない……そう、白薔薇は言いたかったのか。
 「これ、かえすわ」
 いつのまに椅子に戻ったのか、カップを手にした紅薔薇がそう言うと、由乃の眼前に顔に刺さるような角度で棒手裏剣が浮いていた。もちろん、由乃が指と指にはさんでそれを受けたのである。
 まさしくそれは、由乃がおさげ髪の先にして得意とする、由乃の暗器であった。
 だが、紅薔薇はカップを持っている。いつ、それを投げ戻したというのか。
 由乃が受けられねば、苦無(くない)の名の通り必殺されていたはずだった。
 (それで先ほどの、眼前での抜刀の無礼は、ちゃらということか……)
 令は油断せず腰を下ろした。
 自身も乾ききったのどをうるおそうと、カップに左手をのばした時。
 満たされた紅茶が一滴たりともこぼれてないことに気づいた。
 つい先ほど、あの凄まじい殺陣を支えたはずのテーブルだというのに、である。
 令は眼球だけを振って白薔薇と紅薔薇をうかがった。
 やはり、セーラーカラーもタイも、微塵も乱れていない。
 (ちっ、怪物どもめ)
 居合をきわめた令から見てもなお。
 白薔薇も、紅薔薇も、怪物であった。
 もはや汗が額を流れるのを禁じ得ぬまま、令は味もわからぬ茶を口にした。
 「なあ、黄薔薇さま、よ」
 白薔薇が赤い唇の端を、つ、と上げて言った。
 「何か」
 「組まないかい。俺と、志摩子と、さ」
 紅薔薇蓉子はさすがに戦慄した。
 「黄と白で、やろうじゃないか。あの可愛い、つぼみもつかない娘を、さ」
 「黄薔薇さま」
 紅薔薇は制するように言った。
 黄薔薇はゆっくりと茶をすすり、やがてつぶやいた。
 「面白いねえ」
 紅薔薇は初めて心に焦りを覚えた。
 白薔薇の誘いに、黄薔薇は「面白い」と応えただけであった。同盟を受けるなどとは、言っていない。
 だが、黄薔薇が「面白い」と言ったということは、もはや受けたも同然であった。
 それがこの、黄薔薇江利子という、女であった。
 この場の誰もが、それを知っていた。
 令も由乃も、蓉子を見ている。
 (祥子……)
 蓉子は思う。
 自分がいるうちは、たとえ白黄が結ぼうと、紅薔薇を犯すことはさせぬ。
 許さぬ。
 だが、自分は卒業する。じきここを、去らねばならない。
 もちろん、聖も江利子も去ることになるわけだが……。
 令と由乃、志摩子が残る。
 祥子はただ一人で祐巳を守らなければならなくなる。まだ百面相しか術を身につけていない、あの子を。
 白薔薇はそれを見越して、黄薔薇と同盟しようというのだ。
 「紅薔薇さまよう、私もリリアンに残るんだよう」
 大学にさ、とさらに蓉子の心を読んだように白薔薇は言って、くくく、と笑った。
 蓉子は内心、舌を鳴らした。
 祥子。
 祥子。
 あの子は強い。きっと半年もすれば、私たちの誰よりも強くなる。
 小笠原の教授をすべて捨てさせ、この私がすべてを注ぎ込んだのだ。
 小笠原の器に、私の技術を注ぎ込んだのだ。
 私よりも強くなる。
 聖の体術も、令の居合も、志摩子の仙術も、及ばぬほど強くなる。
 あの子に与えられた、最強の薔薇の称号は、本当のものになる。
 だがそれは、あくまで一対一での話だ。それにあの子の心は、その力に比べて、あまりに脆い。
 祥子。
 祥子!
 「黄薔薇のつぼみ姉妹よ、ゆけい」
 黄薔薇が号令した。
 「けひいいいいっ!」
 歓喜に沸き、怪鳥のような声を和して、颶風のごとくして令と由乃が扉から飛び出てゆく。
 まさか、今やるとは! さらに裏をかかれた!
 後を追おうとした紅薔薇を、扉の前で白薔薇がさえぎった。
 「退けえっ!」
 怒号とともに紅薔薇の蹴りが白薔薇の顔面へと飛ぶ。
 速い!
 黄薔薇が目を見開いた。歓喜した。
 紅薔薇の蹴りは、白薔薇の天才を超えるというのか。
 「しいっ!」
 白薔薇はかろうじて仰け反ってそれをかわした。遅れた髪が蹴りの重さを受けて幾本かちぎれた。頭髪を握って引かれたかのようであった。
 白薔薇は凄絶な笑みを浮かべた。
 「たまらねえ、たまらねえな、紅薔薇はよ!」
 「退きなさい……」
 紅薔薇が重くくりかえす。
 黄薔薇が立ち上がる。
 とん。
 とん。
 白薔薇がステップを踏み出す。
 リリアン最強の薔薇たちの死闘が、今、始ろうとしていた。

  3

 「面白い……」
 と、江利子がつぶやいた。
 「だから何書いてんのよ、この馬鹿!」
 ベシッ。
 蓉子が聖の後頭部をはたいた。避けられるわけもない。
 「痛いよう」
 「あんたこんなものばっか書いて、本当に受験勉強してるの? しかも二部も用意して。ていうか昨日の小説書いてからたった一日じゃない。……江利子、なんであなたが赤くなってるの」
 「いや、別に」
 江利子は蓉子から頬を隠すように顔をそむけた。
 一月も終わり。
 ここは蓉子の家。蓉子の部屋。
 聖も受験組にくわわったことだし、蓉子と江利子、そして聖の三人の薔薇さまは、息抜きがてら三人で受験勉強でもしようと集まったのだけど。
 エアコンもつけて、机がわりのちゃぶ台を囲んで、お茶も用意してさて始めるか、となった途端、聖が鞄から取り出したのは参考書でも問題集でもなく、プリントアウトされた二部の小説だった。
 『いばらの森』に触発されて、初めて書いた身内ネタの小説『紅白抱き合戦』が意外に好評だった(つもりの)聖が、あれから一日しかたってないのに新作を書いてきたのだ。
 まったくほんとうに、何やってるんだか。
 読んで読んでえ、とだだをこねる聖を、蓉子はあきれ顔であしらおうとしたが、やっぱり珍しいもの好きの江利子はくいついてしまった。仕方なく、蓉子も読んでしまったわけである。
 頭をはたかれても、それでも聖はめげずに訊いてくる。
 「で、どう?」
 「何が」
 「内容」
 「わけわかんないわよ。だいたい何よこの、『ひふっ』とか『じゃっ』って」
 「あ、それ、夢枕獏調。夢枕獏の文体まねたの、今回」
 「ゆめまくらばく?」
 「あの『陰陽師』の?」
 江利子は知っているようだ。『陰陽師』なら蓉子も知っている。だけどあれって映画じゃなかった?
 「そ、『陰陽師』の原作小説書いた人」
 「原作こんななの? 私、映画は見たけど。野村萬斎の身体操作は凄かったな」
 そうなんだ。さすが江利子、特別なものを見抜く眼力がある。じゃなくて。
 「はいはい、もういいでしょ。勉強しましょう、勉強」
 「えーっ、もう少しなんかないのお? 感想とか」
 聖がぶーたれる。
 「無いわよ。だってなんか蹴りがどうとかいって、結局、聖が何かたくらんで祐巳ちゃんを襲うって話でしょう? 前と同じじゃない、この変態」
 「前と同じじゃないよ」
 「うん、同じじゃない。前のは祥子の性格を使って倒す会話劇だったし」
 「ちょっと江利子」
 真面目に分析しないでよ、もう。「倒す」とかいって、今読んだ小説の影響もろ受けてるし。
 「この新作、何、『薔薇の門』? これも結構、私たちの性格良くつかんでるよね。こんな感じかなって思うもの」
 私たちのいったいどこがこんな感じなの、江利子?
 「だいたいこんなこと、出来るわけないでしょう」
 「できるよ」
 ごん。
 蹴りでも見せようとでも思ったのか、勢いよく立とうとしてちゃぶ台にスネをぶつけて聖はうずくまった。うう、とか唸って、涙目になっている。
 出来てない。できるよごん、しか出来てない。
 なんだか聖って、むしろ祐巳ちゃんに似てきてない?
 カップからちゃぶ台にこぼれたお茶を拭きながら、蓉子はすっかりあきれていた。
 「大丈夫、聖?」
 「うう、江利子って、やさしいよう。いい読者だし。だーい好き」
 「キスはいいってキスは」
 来るなあ、とかいって。んちゅーとばかりに唇を突き出してせまる聖を、両腕をいっぱいにのばして拒む江利子。はしゃいでる、はしゃいでるね君たち。息抜きまくってるね。はああ、受験勉強が……。
 「なになに蓉子、蓉子ちゃんもキスして欲ちいの? いいでちゅよ、んちゅー……ぶっ」
 私は聖の唇と参考書をキスさせた。
 「蓉子、なんでそこで赤くなるの?」
 「別に」
 江利子に仕返しされてしまった。
 「さあ、勉強するわよ!」
 「ちぇ、これも勉強なのに」
 と、小説の紙束をひらひらさせる聖。
 「いいかげんにしないと、ほんとうに没収するわよ」
 「ホントなんだってば、蓉子。私、英文学科受けるのよ、リリアンの」
 英文学科。それは蓉子にも初耳だ。
 「こうやって文体模倣すると、もう、作者の意図なんかバリバリ読めるんだから。国語なんて、ほら」
 そこで聖はようやく自分の国語問題集を3冊も鞄から出し、蓉子に見せた。
 蓉子が開くと、なんと、全部やってある。
 これも。
 これも。
 これも。
 しかも、3冊めは一流私大用なのに、平均9割は正解してる。
 「ほら、ね」
 聖がにんまり笑った。私の感心は顔に出ていたらしい。
 「英語は大丈夫なの?」
 誉めもしないで、ついそんな質問をしてしまう蓉子。自分でも、いやな性格。
 「それを蓉子に見てもらおうと思って」
 真面目な顔をする聖。
 端正な、白い塑像のような、ロマンティックで美しい顔。
 蓉子はどきりとしてしまう。
 「そう……だったら」
 いけないいけない。
 「やっぱりこんな小説書いてる暇ないじゃない!」


 「へぶっ」
 聖はかわしきれず、蓉子のリアルグーパンチは見事あごに決った。


  完 (2003.9.3up)

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