une Kaoru Simabara nouvelle a L'eau de rose ノーガード戦法

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 なかなか自分の癖を自身で見つけるというのは難しい。脚を揺すったり、爪を噛んだり、髪をいじっくたり。それらは当人にとっては無意識に行う動作であり、また、生理的になにがしかの変化を起こした時の当然の結果と本人は無意識的に思っている。
 だから、癖を人から指摘されるというのはどうも気持ちが悪い。自分では行って当然という行為を、人から異質だとばかりに揶揄される。まるで己ごと否定された気がしてならない、というのもそこにはあるかもしれない。
 では癖を自覚している場合はどうか。それもまた然りだろう。気付いていようが気付いてなかろうが指摘されることに意味があるのだから。
 そして、その癖を自覚しているある少女は、最近とても不機嫌だった。
「ねえねえ、瞳子ちゃん」
「……」
「タイが、曲がっていてよ」
「曲がってません。間にあってます。結構です」
「ぶう」
 原因は、言わずもがな。


  ノーガード戦法


「瞳子ちゃん、ほらまた」
 随分と日が落ちるのが早くなった秋の一日。先ほどまでの喧騒が嘘のように静かな部屋で、二人の少女は大きな丸テーブルを挟んでその日の仕事をしていた。一人はただ黙々と手を動かし、見た目の幼さとは裏腹に機械のような正確さで文字を連ねていく様子に、彼女の聡明さが伺われる。
 そしてもう一方、残念ながら仕事に向かうべきその手は向かい合う少女に伸びて、伸ばしたもののぎりぎり彼女を捉えられずプルプルと震えていた。
「瞳子ちゃ〜ん」
 プルプル。
 もう少しで瞳子と呼ばれた少女に届く手を文字通り一生懸命に伸ばし、それでも届かない腕が僅かに震える。そんな様子を上目遣いで見た瞳子はそれでも尚、機械的に仕事をこなしている。
「と、う、こ、ちゃ〜ん」
 無理だっての。僅かな嘲笑を心に秘めてもう一度少女を見た。顔を伏せ、懸命に伸ばした腕が眼前で震えている。それに妙な優越感を感じてしまうのは少女へのどんな気持ちからか、瞳子には分からない。
 それでも、性懲りもなくちょっかいを出そうとしてくる先輩に対して、久しぶりに優位に立っている事に瞳子は安堵した。同時に今まで振り回されてきた記憶を無理矢理脇にどけるのも忘れない。
 滑稽ですわね。さすがにそれを口に出すのは憚れるが、一応心の中で言っておいて仕事を再開した。あと数行を埋めればいい書類を見て、単純だと思いながらもじわじわと達成感に満たされていく。
 その時だった。ガシっと、頭の横にある縦ロールを確かな感触と共に掴まれた。慌てて顔を上げると、テーブルから体を乗り出してこちらに手を伸ばしているタヌキ顔の――少女はそう自称しているがどうも瞳子にはそう見えない―― 先輩が一匹。満足そうな笑みを浮かべている。
「捕まえた」
 妙に艶のある声で髪を掴んでいる少女に、瞳子はその少女に代わってプルプルと震えだした。しかし、その理由もそのあと導かれる結果も違うその震えは、明らかに怒気をはらんだ声で収まった。
「祐巳さま、どうしてこのようなことをなさるのです?」
「え? だって気になるんだもん」
 そうじゃなくて。
 キョトンとした顔で答える祐巳と呼ばれた少女に、瞳子はまたプルプルと震え出す。だが、ここで取り乱しては祐巳の思う壺だと、瞳子は勝手に思った。
「ですから、どうしてさっきから瞳子の髪を掴むのです?」
 さっきから。その言葉が出る前から既に、瞳子の頭の中では十分前の出来事が頭の中で上映されていた。
 十分前までは不本意ながら祐巳の隣、椅子一つ分空けた所で仕事をしていた瞳子だったが、なぜか祐巳はしきりに瞳子の髪を、主に縦ロールに触ろうとするのだ。
「瞳子ちゃんってなんか考え事とかするとドリ……髪を揺する癖があるでしょ? だから」
「それは先ほど聞きました。そしてそれも理由になってません」
 っていうかドリの続きはなんじゃい。思わずどつきたくなったがそれは却って祐巳の言葉を認めるようでイヤだった。
「う〜ん、触りたいから」
「だからそれでは……もういいです」
 いい加減不毛だと気付いた瞳子はプイっと横を向いて仕事に取り掛かった。しかし、同時にクスクスと聞こえる忍び笑いがもう一度、瞳子の心を逆撫でした。
「だからなんなんです!? そんなに瞳子をおちょくって楽しいのですかっ」
 思い切りよくテーブルを叩いて祐巳を見据える。それでも祐巳はひるまず、それどころか楽しそうに目を細めると、「うん」と言って頬杖をついた。
「そういうところが可愛いんだもん、瞳子ちゃんって」
 クリティカルヒット。わけの分からない衝撃が瞳子を巡り、あえなく彼女は撃沈した。


 そもそもの発端は四十分前に遡る、と瞳子は記憶している。
 薔薇の館で仕事を手伝い始めて数ヶ月。部活と夏休みのため実際はそれほど手伝ってはいないのだが、いい加減手馴れてきたところもあるし、新学期早々、一体何をどう勘違いしたのか、クラスメートが『紅薔薇のつぼみの妹になられたの?』なんて切り出すのだから、十分自分は薔薇の館の住人になってしまったのだと思う。
 それでもなお、瞳子の内に釈然としないものがあるのは多分に祐巳にあると瞳子は考える。嘘のつけないその性格に、同じように隠し事など出来ない顔を持った先輩を、口では拒みながらも目で追ってしまうのは事実であり、それがまた彼女に言いようもない苛立ちを与えている。
 別にあなたがどうなろうと瞳子には関係ありませんわ。確かそんなことを言ったような記憶もあるのだが、今となっては笑いの種にしかならない。
 そしてあの時も、そんなことをぼんやりと考えながら祐巳を見つめていた気がする。
「ごめんなさいね、祐巳」
 しきりに謝っている祥子に、いえいえ、とこちらもしきりに首を横に振る祐巳。
「それじゃ、私は先に行くわね。ごきげんよう」
「はい、お姉さま。ごきげんよう」
 流れるような動作で扉の向こうへと消えていく祥子と、そんな姿に見惚れている祐巳を見ながら瞳子はあれ? とあることに気付いた。
「祐巳さま」
「なに? 瞳子ちゃん」
「どうして誰もいないのですか?」
 瞳子はキョロキョロと、いない誰かを探すように会議室兼サロンの中を見回す。残念ながらその瞳には長い年月と共に色褪せた木の壁しか見えない。
「いるじゃない。私と、瞳子ちゃんが」
 やっぱりとろけてる。以前黄薔薇のつぼみが祐巳に向かって言った言葉がリピートされる。
「そうではなくて。どうして二人っきりなんですのっ?」
「……イヤ?」
 ええ、嫌ですとも。
 そう言ってやりたかったのだが、なぜか熱くなった頬と、上手く回らない口がそれを邪魔する。瞳子はせめてもの反抗にと目を逸らして、
「別に。瞳子は構いませんが祐巳さまが随分と寂しそうでおられましたので」とぶっきらぼうに言った。
「あ、分かる?」
 苦笑する祐巳に瞳子はまた不快感を覚えた。なぜかは分からないが、その祐巳の苦笑いの中に自分という要素が全くないのが気に障ったのかもしれない。どうして、この人は一心に一人しか見ないのか。誰彼構わず笑顔を振りまくくせに、一番芯のところはたった一人にしか見せないのか。
「瞳子ちゃん?」
 呼ばれて正気に戻ると、眼前には心配そうにこちらを見つめている祐巳がいた。思わず、椅子ごとに後ずさる。
「な、なんですっ。いきなり近づいて」
 ところどころ声が裏返りながら喚く瞳子に、さすがに祐巳も目をパチクリさせると、訝しげな表情と共に椅子に戻った。
 瞳子の本能が警鐘を鳴らす。まさかここまで取り乱してしまうとは思わなかった。これではいくら鈍感でおめでたくてタヌキ顔の先輩でも気付かない方がおかしい。
「なんか最近の瞳子ちゃん変だよ? 風邪でも引いた?」
「……さっさと仕事を終わらせましょう」
 まだ自分は、山百合会をなめているのかもしれない。瞳子は肩を落としながら思った。


 それからしばらく仕事に没頭したものの、放課後の高校生にそれほど集中力があるわけでもなく、祐巳の手からシャーペンがパタリと落ちる音が聞こえるのにそれほど時間はいらなかった。瞳子は意地からなのか、依然羅列する文字と格闘していた。
 先ほどから祐巳の視線を感じる。明らかにそれは暇だから構って欲しいというのが伝わってくる。自分が暇で、なにか作業している人間を見ると思わず手を出してしまうのは常なわけで、じりじりと祐巳と瞳子の距離が縮まっていくのが雰囲気で分かった。
 それでも瞳子はそんな先輩を無視してペンを走らせる。たとえ顔を上げれば祐巳の顔が目前にあろうと構わない。そんな覚悟でいた。
「そこ、間違ってるよ」
「きゃ!」
 唐突に声を掛けられ、眼前に祐巳が本当にいたのも相まって瞳子は椅子から飛び上がった。その際、彼女の縦ロールが祐巳の顔に当たったのだが気付かなかった。
「だ、だ、だからどうして祐巳さまはいつもそういきなり出てくるのですかっ」
 目の前がグルグルと回る。まるで自分の縦ロールが目に付いたようにって、なんだその表現は。
 混乱する瞳子に祐巳はプリントを手に持ってマジマジと見つめると、彼女に手渡した。
「計算間違いに漢字間違いに文字が抜けてる、本当にどうしたの?」
 漢字は私も合ってるか分からないけどね。そう付け足す祐巳がなぜかぼやけて見える。感情の波は留まることなく押し寄せてくる。まるで、泣いているように。
「瞳子ちゃ……」
 祐巳の驚く顔を見て、そこでやっと自分の頬に涙が伝っているのに気付いた。だからといって、この涙も、溢れてくる言葉も止められそうになかった。
「どうして祐巳さまは、どうしてそう無断で人の心に入って来るんですか!? どうして誰彼構わず笑ってるんですか!? 祐巳さまのそういうところとても嫌いです! すごく嫌です! すごく、すごく……なのにどうして……」
 あとは続かなかった。それ以上言ってしまえば何もかもが壊れてしまう気がした。今の二人の関係や、窓から差し込んでくるこの綺麗な夕日が。
 ふわりと、柔らかい羽に包まれるような感触がした。歪んだ視界には、羽ばたく鳩を模したような白いタイが見える。
 自分は今、抱き締められている。
「ごめんね。私、そういうの鈍いから。なるべく皆と仲良くしたいと思っても誰かを傷つけちゃうんだよね。ごめんね」
 そのままギュッと腕に力が込められて、祐巳の胸に寄りかかるようにして瞳子は抱き締められた。ゆっくりと目を閉じた先には、言いようもない暖かい光が差し込んでくる。
 それはきっと、誰に対しても両手を広げ、そして誰よりも自分をかたくなに守るこの人の先にある、温もりだと思う。


 後日。薔薇の館で瞳子は祥子と二人きりになっていた。
「瞳子ちゃん」
「はい」
 久しぶりに大好きな祥子お姉さまと一緒になれた事に幾分か緊張しながら応える。
 祥子はなぜか取っ手ではなくティーカップそのものを持ち上げると、瞳子に微笑んだ。
「先日、祐巳と抱きあっていたそうね」
「は、はひ」
 なんだろう、この雰囲気は。ピリピリと祥子からプレッシャーが放たれているように感じる。
 パリン!
 突然、祥子の持っていたティーカップが跡形もなく粉々に割れた。その様子を目撃してしまった瞳子は慄くと共に、言葉を続ける祥子を見た。
「もし、祐巳に手を出したら……例えあなたでも容赦しな」
「わ、分かりました!」
 今分かった。祐巳がノーガードでも、この人のガードが固すぎるということを。


  完 (2003.11.24up)


〜あとがき〜
なぜシリアスに終われないんだろう。


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