une Kaoru Simabara nouvelle a L'eau de rose もてもてもて 〜由乃さんの場合(後編)〜

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  もてもてもて 〜由乃さんの場合、後編〜


 剣道場に少女たちの声がこだまする。肌を刺す寒さは相変わらずなのに内部の熱気でそれは殆ど感じられないように思えた。
 私は胴着に身を包んで竹刀を振るう部員を尻目に、日課である筋トレを黙々とこなしている。最近は筋肉痛からも開放され、あれだけ苦戦した腕立て伏せもなんとか回数をこなせるようになってきた。それでも人並み未満、もしくは人並み以下なのは悲しいところだが文句を言う筋合いはない。
 そう、スポーツは努力・根性・忍耐よ。
 そう自分に言い聞かせながら数十分、私は周囲の視線から逃げるように場外のトイレへと移動した。明らかに追ってきている視線に恐怖を覚えながら私は個室へと駆け込む。
 後ろ手で鍵を閉め座り込む。体操服越しとはいえ、洋式の便座は少し冷たかった。それでも、座った瞬間に漏れ出たため息がいかに外が私にとっていかに危険な世界かということを表していた。
 もうヤバイのなんの。普段は祐巳さんに向けられているあのケダモノじみた視線が、剣道場に足を踏み入れた途端にこちらに向けられるのだ。
 爪を尖らせ牙を光らせ、お嬢様には相応しくない吐息があちこちから聞こえてくる。一、二年生は尚のこと、受験シーズンで幽霊と化していたはずの三年生のお姉さま方まで出陣してくる始末。それはもう剣道場は一匹の子羊を狙う狼の巣窟と化していた。自分で子羊言うのも恥ずかしいけど。
 とりあえず長居するのも変に思われるので席を立つ。すると、外から誰かがノックしてきた。
「あ、ごめんなさい。今出ます」
 私は今日何度目か分かったもんじゃない気合を入れ直すと、鍵へと手を伸ばす。外そうと手をかけた瞬間、外側から物凄い勢いでドアが叩かれた。
「そこにいるのは由乃さん? 中にいるのね。ああっ……なんて偶然かしら。待ってて由乃さん。今そこに行くからね由乃さんハァハァハァ……」
 いやいやいやいや。待ってませんから。ってかアンタら祐巳さんにそんなことまでしてたの? そうじゃなくて助けてー!
 ぶっ壊れそうな勢いでドアが叩かれる! 所詮はトイレのドア。カチャリ、とついに揺れの勢いで鍵が外れる。途端にピタリと治まるドアの音。
 ギィィっと、そんな音などしないのだが思わずイメージしてしまう。まるで先日見たホラー映画じゃないのよぉ!
「よーしーのーさーん」
「ひぃ……!」
 なによこれぇ! どうしてこんな怖い思いしないといけないのよ! ギャグなんじゃないのぉ!?
 大好きな両親と尊敬する池波先生、あとほんのちょっとだけ令ちゃんを思い浮かべながら私はこの世とのお別れをする。ごめんなさい神様マリア様、あと少しだけ令ちゃんに優しくしますからー!
 パシコーン。
 私は目を瞑って頭を抱えていると、外から竹刀で叩く音が聞こえた。まさかいきなり私にそんなプレイを強要されるのかしら、と混乱しきった頭を抱えたまま私は瞳を開ける。目に映るのは上履きと袴、そして竹刀の先。
「ああ、ごめんなさいぃ……竹刀なんてどうすればいいのよぅ……」
「なに言ってるのよ由乃さん」
 聞き覚えのある声に私は顔を上げる。すると、そこ立っていたのは私の好敵手である田沼ちさとだった。
「ち、さと……さん?」
「まったく、無用心にも程があるわよ。あれほど私を護衛につけろって言ってるのに」
 見ると、ちさとさんの足元には一人の剣道部員が無惨にも転がっている。
 つまり、私は助けられた、と。
「う、うえーん! ちさとー!」
「ちょっ、ちょっ」
「怖かったよー! ちさとー!」
「えーいっ。分かったから離れなさいって」
 抱きついて離れない私を無理矢理引き剥がしたちさとさんは、少し頬を赤らめてそっぽを向いてしまう。
「あなたがいないと困るのよ。その、あなたにはライバルでいてもらわないと私も張り合いがないんだから……」
「ちさとさん……」
 どうやらこのヘンテコな世界でも味方はいるようだ。私は思わずちさとさんの手を握ってしまう。もちろん慌てるちさとさん。
「わっ、ちょっと」
「ありがとね、ちさと」
「由乃さん……」
 途端にちさとさんの顔中真っ赤になる。どうやら私への好意はちさとさんにはこの程度で済んでいるようだ。ちさとさんは手を振り払うとズンズンと先に歩いていってしまう。
「ほら、もう練習始まってるから行くわよ。まったく世話の焼ける……」
 ブツブツと一人ごちているちさとさんの背中を追いかけながら、私はこんなのも良いかな、と思う。祐巳さんや志摩子さんという親友(志摩子さんは現在では微妙)もいるがこんな風にちょっとした意地の張り合いの出来る友達というのも心地良かった。私はやる気の出てきた足を剣道場へと向かわせた。
 剣道場に着くと、真っ先に顧問である山村先生が話しかけてきた。
「大丈夫由乃さん? トイレに行ったきり戻ってこないものだから心配したわ。気分が悪いのなら今日はもう早退する? それとも」
「由乃さんなら大丈夫です。あとは私が面倒見ますから」
「あなたに聞いてないわよちさとさん。私は由乃さんと話があるの」
「ですから大丈夫と言ったはずです。先生は練習に専念しててください」
 捲し立てる先生に目を白黒させる私だったが、ちさとさんが間に立って助けてくれた。なぜかちさとさんと先生の間に不穏な空気を感じたが、早退しないで済んだので一応はこれで良いのだろう。
 私がいつも筋トレをしているスペースへと移動している時、ちさとさんはまたも口を尖らせた。
「ホントに由乃さんって自分のこととなると鈍いのね」
「なにがよ」
「気づかなかった? 山村先生、あなたのこと狙ってるのよ?」
「は?」
「はぁ……まあそれもあなたの良いところなんだろうけどね」
 どこかで聞いたような台詞に私はムッとしたが、思い返すと確かに授業中、私を指名する先生が多かった気がする。おまけにボディタッチ付き。私は今更ながらに身を震わせた。
「気をつけなさいよ。由乃さんが入部するって聞いて、一番喜んでたの先生なんだから」
 もう呆れるしかない。そして先生にも狙われていた祐巳さんが、段々と私の中でバケモノじみてきていた。
 教師すらも篭絡する女、福沢祐巳。
 肩を落とす私に、ちさとさんは励ますように肩に手を置く。
「もう今に始まったことじゃないんだから。ほら、続きをしましょう」
 あまり励ましにもなってない気もしたが、これが彼女なりのやり方だと言い聞かせ床に座る。筋トレの続きでも良かったのだが体がすっかり(いろんな意味で)冷えてしまったので柔軟体操をした。
 足を伸ばしつま先にかけて上体を倒す、つまり長座体前屈をしている私の背に、ちさとさんは体重をかけてさらに倒そうとする。
「まだまだ硬いわねー、柔軟性はどんなスポーツでも必要なんだからもっとやりなさいよ」
「わかっ、てる、わよ。だ、から、あま、り、押さない、でよ」
 ギシギシと上体が悲鳴をあげながら倒れていく。私はこれも修行のうちと我慢していたのだが、ふと背中にかかる重圧が軽くなっていることに気づいた。
 背中を押していたはずのちさとさんは、なぜか私の体を包むように圧し掛かっていた。
「それにしても由乃さんってほんと無駄な贅肉がないわね。羨ましいわ」
 その代わりに筋肉もありませんけどねー、と憎まれ口の一つでも叩こうと思ったのだが、ちさとさんの手が脇腹のあたりを撫ぜてきたことに私は体を震わせる。
「ほら、ここらへんなんて私のを分けてあげたいぐらい細くて……でも不思議よね、こん なに細いのに女の子特有の柔らかさっていうの? それがとても気持ち良いっていうかさ……」
 そう言って徐々にその手が私の体のラインに沿ってゆっくりと登ってくる、ってちょっとアンタどこ触ってんのよ!
「ここはもうちょっと欲しいわよね……でもこれはこれで由乃さんらしくて可愛いわ。それとも私が協力してあげようか?」
「ちょ、ち、さとさん……!」
 剣道場という場所に関わらず、私の口からははしたない吐息が漏れる。自分でもまさかそんな声が出るなんて……って出るわけないでしょうがー!
「いい加減にしなさいよちさとさんっ。いったいどうしたって……」
 私は思い切り首を捻りちさとさん睨む。そこで気づいた。今日一日でずいぶん見慣れた獣の目。それが今、息も荒く私に襲い掛かろうとしている。
「ち、ちさとさん? あなた令ちゃんのファンじゃなかったの?」
 まだゆっくりとした動きで抱きついてくるちさとさんに、私は正気に戻ってもらおうと語りかける。しかし、彼女はそんなことは無駄とばかりに私の首をその舌で舐めた。
「ひっ」
「フフ。由乃さん、あなたが悪いのよ……令さまとのデートで傷ついた私を優しく抱きしめてくれて……あの日から私は気づいたの。本当はただあなたの気を引きたかった一心で令さまファンを名乗っていたことを」
 それは都合よく惚れちゃいましたねこんちくしょう。
 女同士とはいえ、剣道部のちさとさんと私なんかでは全く勝負にならない。私は徐々に地面に押し付けられていく。
「いや、やめようよちさとさん。ほら、皆もいるし」
「あら? 見られてた方が、良いでしょ?」
 なんのことですか、ってやっぱり助けてマリアさまー!
 瞬間、危うく子羊には見せられそうにないSSになりかけていた私とちさとさんの背後から、とてもつもない殺気が刺さる。
 ちさとさんは、消えたのではないかと錯覚させるほどの早さで私の背中から離れる。その直後、私の首を掠める形で竹刀の先が背後から突き出された。
 思わぬ攻撃に腰が立たない私は、這いずるようにそのままの姿勢で後ろを見た。
 呆気に取られた。防具で完全武装した先輩たちが大きな円を作り陣取っている。その中心には私とちさとさん二人。防具もつけず竹刀一本で中心に立つちさとさんの姿に、先ほどの彼女の暴走も忘れ思わず見入ってしまった。
 そのまま動かぬことしばらく、先輩の一人が口を開く。
「ちさとさん。あなたはここの掟を忘れたのかしら? 由乃ちゃんは我が部の愛玩動物として手をけして出さない。それを最初に提案したのはあなたでしょう?」
 おいおいなんだよそれ、ってか愛玩動物ってなによ。
「あら。確かに手を出してはいけないとは言いましたが、何も恋人にしてはならないとは一言も言ってませんよ?」
 もうだめだこの人。
「なっ……。フン、やはりあなたは最初に潰しておくべきだったわね」
「そうでしたわね。まあ、やれるものならどうぞご勝手に」
「……その言葉、地獄で悔いなさい」
 途端、高まる殺気と剣気。思わず時代劇物好きの血が騒いで興奮してしまう。
「さあっ。やりますわよ、皆様方!」
「応!」
 あれ? これってマリみてよね?

 そして始まった大立ち回り。見てなさい田沼流奥義、とか言っているちさとさんを私はもっと見ていたかったのだけれど、始まった途端に令ちゃんが私を無理矢理外へと連れ出してしまった。
 第二体育館の脇を抜け、裏門に差し掛かったところで右に曲がり高等部校舎の前へと出る。下校する生徒の波はとうに過ぎたが、それでもちらほらと、校内を疾走する私たちに怪訝な顔をする生徒はいた。
 令ちゃんの足は真っ直ぐに第一体育館と本校舎の間を通る。もしかしたらもなく、薔薇の館へと行こうとしている。私は渡り廊下に差し掛かったところで令ちゃんの手を振り払った。
「痛いから放してよ。薔薇の館へ行くんでしょ? あそこなら剣道部の人は追って来れないから」
 強く握られて赤く跡のついた手首を摩りながら、私は令ちゃんに訊ねる。それでも令ちゃんはこちらに振り返ると、また私の手を強く掴むと歩き出そうとする。さすがにその行為に、私の中の『令ちゃんの由乃』が顔を出す。
「なによ令ちゃん。皆も変だけど、一番令ちゃんが変だよ。なんか、怖い」
 そう。今まで言及しなかったけれど令ちゃんにも変化があった。しかも、これまで会った人たちとは正反対の反応。
「令ちゃんどうしちゃったの? 由乃のこと嫌いになった?」
 それでもお姉さまは何も言わずぐいぐいと引っ張るだけ。こっちを見もしようともしない大切な人に、さすがに私の我慢も限界を迎えようとしていた。
「ねえホントにどうしちゃったの? 由乃のこと嫌いになったのならそれでもいい。でも由乃の、私の目を見て。ねえ令ちゃんっ」
 いつのまにか私たちは薔薇の館の前まで来ていた。そこでやっと放してくれた令ちゃんは、私の方へと振り向きやっとその瞳を向けてくれた。
 向けられて、分かった。
 かなしかった。なにが、というわけでもないけど、とにかく私に向けられる令ちゃんの目やその表情、きっとそれを受け止めている自分の顔も歪んでいた。
 ―――そっか。
 神様ごめんなさい。私は令ちゃんに愛されるということの大切さをすっかり忘れてました。なにより誰が好きだとか、誰かを愛するとか、私にはその根っこにあるものを気づいていたはずなのに忘れていました。手術を受ける前、あれだけ大切な人のことを思い浮かべ涙した私を、自分で踏みにじっていました。
 令ちゃんが離れていく。永遠の別離などではない。もちろん二人には明日がある。けれどそこに私の望む光などなかった―――。


 そこは、やはり薄汚い水の中だった。そこに二人の少女が対峙する。一人は痛々しいまでに頭を抱え、もう一人はそれを感情のない瞳で見つめていた。
 やっと、気づいたのね。
 ええ、分かったわ。だからお願い、もう私をここから出して。
 真っ黒い光の中、斧は泉の精に請う。
 あなたは愛されることに慣れてしまって、愛する努力も、愛される努力もしなかった。それって、とてもかなしいことだと思わない?
 分かった。分かったから早くここから出して、あの目を忘れさせて。
 そんな態度がどれだけ周りの、あなたを愛する人が……。
 分かったから! お願いだからここから出して! あの人に会わせて―――!


「……あ……」
 気づけば夕方だった。締め切った窓からはただ燦々と夕日が部屋を照らしており、灯りもつけていないのに部屋は明るい。ただ、影がいつもより濃く見えた。
「目、覚めたのね」
 声をかけられ、見ると志摩子さんだった。私はぼんやりとする頭をコンコンと叩きながら目をこする。手が僅かに湿っていたのは気のせいだと決め付けた。
「私、ずっと寝てた?」
「ええ。あんまりにも気持ち良さそうに寝てるから起こすのが惜しいくらいに」
「そっか……」
 彼女の顔は夕日により上手く見えなかった。こちらも見えてなければ良いのに、と思いながら周りを見渡す。
 案の定、誰もいない。
「ねえ、志摩子さん」
「なに?」
「私、夢を見た」
「そう」
「なんか、滅茶苦茶だったけど……大事なことを思い出せた気がする」
「……それは、良かったわね」
 いつのまにか志摩子さんは私の背後に回り、その手を私の肩に置く。それだけなのに、なぜだかとても暖かかった。
「由乃さん、私も気づいたことがあるの」
「え? な」
 に、と言い切る前に首が何かになぞられる感覚。これは憶えているぞ。あの好敵手の夢での奇行が、おぼろげだった私の記憶を鮮明にさせる。
「へ? ちょ、しま」
「私が求めていたのは、お姉さまでもなく乃梨子でもなく祐巳さんでもなく、あなただったのよ」
 え? なにこの展開。
 唖然とする私の前にボトン、と何かが落とされる。それは弾んだり転がりながら、それでも操られているかのように私の前にきちんと止まっていく。
 赤や黄色、それは色鮮やかなあのスポンジのボールだった。
「由乃さんがこわかった……でも、本当はあれを望んでいたのかもしれない」
 ずいぶん特殊な趣味をお持ちですね。
「だからね、あなたにも味あわせてあげる。忘れられないぐらいに」


〜おわれ〜


〜あとがき/島原薫〜
助けてください! 助けてください!(自分に)
えー、冗談はさておいてここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

〜解題/砂織〜
ううん、エロティックホラー? なんか一瞬よい話になりかけてたけれど、そこはやっぱり薫さんw 志摩子と夢の女神との関係など、謎は深まるばかりだわ……。もうちょっと、他の山百合会の面々とのかけあいが見たかったけれど。ともあれ、前後編のご投稿、ありがとうございましたv
 さて、みなさまも薫さんへのご感想など、ぜひBBSまで。また、薫さんのSSがもっと読みたーい、という貴方は、当方ゲストコーナー所収のものの他、当方LINKからすかっちさまの「オレンジペコ」をご訪問なさって下さいね。

(2005.3.10up)

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